Washington, DC 1985年3月8日
ボストンから夜行バスでワシントンへ移動した。思えばこの頃は体力勝負の旅行だった。この旅行では3日に1回は夜行だった。ワシントンに着いたこの日もなんだかとても眠かった。
ホワイトハウスの前には反核の立て看板があった。アメリカってすげーと思って撮ったのだけれど、今見るとNorman Mayerという名前がある。有名な反核の活動家だったらしい。
ワシントン記念塔に登った。エレベータのお姉さんがやけに陽気で、そのほかいろんなところでみんな陽気で、アメリカ人っていいなあと思ったのを覚えている。
リンカーン記念館はとにかくその予想を上回る大きさに驚いた。
もちろん、スミソニアン博物館にも行ったが、眠くて疲れた上に時間もなくて駆け足になってしまい、ろくに覚えていない。
一日ワシントンを見学したあと、そのままバスでジョージア州の街、サバンナへ向かう。2夜連続の夜行バスだ。南ジョージア大学に知人がいたのでそこに寄ってから、デイトナビーチへ向かう。
Daytona Beach 2005年3月12日、13日
ちょうどスプリングブレイクだとかでデイトナビーチは超混雑していた。でもなかなかよいモーテルに泊まることができた。確か1泊$30で今からすれば超安い。着いたのは夜で、いきさつはよく覚えていないがバスディーポからアメリカ人の高校生っぽい女の子と相乗りでタクシーでビーチへ向かう。どうやってモーテルを見つけたのかも覚えていないが、とにかくわずかに空いているモーテルをとれた。
翌日、プールにいると、モーテルのおばさんから「また日本人が来たわよん」とお知らせがあった。どうやらもう一人やってきたようだ。
ここではモーテルのプールで持ってきたFMラジオで音楽をかけながらひたすら昼寝していた。食事はスーパーで食材を買ってサンドイッチを作ったような気がする。キッチン付きの部屋だったので、夜は肉を焼いた。思えばこの頃はひたすら貧乏であった。ちなみにプラザ合意の前だから今みたいな円高じゃない。
それから春にしてはものすごい暑さでモーテルのおばさんが「Sunshine is crazy!」と言っていたのを覚えている。
泊まったモーテルはMonte Carlo Beach Motelという。ネットで調べてみるとそれらしいページは見つかったが、Google Earthで見ると空き地になっている。その周辺、なぜか空き地が多い。再開発の途中かもしれない。
New Orleans ー1985年3月14日
デイトナビーチでゆっくり体を休めた後は再び夜行バスでニューオーリンズへ向かった。ニューオーリンズでは観光船に乗る代わりにミシシッピ川の渡し舟に乗って川を往復し、路面電車に乗って線路沿いの家を眺め、フレンチクォーターを散策した。
Pat O’Briens Barというハリケーンカクテル発祥のレストランでハリケーンカクテルを飲んだ。グラスをお土産にもらえるというので持って歩いたが、どこかで割ってしまったと思う。
それからオイスターバーで生牡蠣を1ダース食べる。たぶん生まれて初めてだったと思う。こんなに美味しいものだとは知らなかった。