1993年1月2日
四つ星ホテルへ行ってT/Cを200フラン変えた。320DHだった。ホテルの支払いをすませ、水とゆで卵2個とヨーグルト2個を買って、11時のフェズ行きバスに乗った。次の目的地はフェズだ。フェズに何時に着くのか聞かなかった。何時に着こうがどうでもいいやとそんなふうに思うようになってしまったのか。インシャラー。いつかはフェズに着く。
フェズへは、アトラス山脈を越えてゆく。アトラス越えは景色の変化が激しく感動的だそうだが、この移動では大変な天気に見舞われてしまった。エルフードを出たバスは少しずつ坂を登っていく。このあたりの地形はちょっと面白くて、例えばグランドキャニオンの下の部分がエルフード一帯のオアシスである。そして、バスは坂をぐいぐい登って、グランドキャニオンでいうなら上の台地の部分に上がって走るのだ。前方から切り立った崖が近づいてきたかと思うと、いつの間にかその崖の上を走っているのが面白い。
そのうち霧が出てきた。と思うまもなく雪がちらついてきた。まもなくバスはまた少し下っていったので雪はすぐになくなった。途中のミデルトという町を過ぎてしばらく行ったところで乗客の間にざわめきが起こった。隣の兄ちゃんがいうには、フェズへ行く道が切れていて別の道を行くのだという。あれまあ。やれやれだ。
なおもどんどん走るとまた雪になった。今度の雪は本格的だ。10センチくらい積もっているだろうか。雪は降り続いている。バスはのろのろ走る。一体、いつになったら着くのだろう。隣の兄ちゃんによると9時の予定だという。10時間もかかるのか。
雪はさっぱり止まず、まるでスキーバスのようだ。もう外は暗くて何も見えない。このバスはカーブでスリップしたりするのだ。やだなあもう。
やがて、雪が雨に変わり、その雨もやんで、そして、フェズに着いた。午後10時だった。フェズでは思いっきりいいホテルに泊まろうと思っていた。それで、バスは旧市街のメディナの近くのターミナルに止まったのだが、新市街まで行くことにした。ここからが、失敗の始まりである。
めんどくさいし、やっぱり疲れていたのか、タクシーを使うことにした。行き先は「歩き方」を見て適当に「ホテルスプレンディド」と言っていくらかかるか聞いた。30DHだという。暴利には違いないがついついOKしてしまった。スプレンディドでは今夜はフルだと言われた。これで、ちょっと動揺した。
ホテルを出るとガイドに捕まった。ホテルを紹介すると言う。俺はオフィシャルガイドだと言うのだがそんなことどうでもよかった。連れていかれたホテルはジャンヌダルクという安ホテルで、そのガイドが言うには一部屋しかなく、それは4人用で100DHだという。むちゃくちゃな話なんだが、その時はなんだかどうでもよくて、ついつい、OKした。
それから、腹が減っているのでレストランに連れて行かれることにした。ガイドは「安いから大丈夫だ」と言いながら、高そうなレストランに連れていく。しかし、夜遅い時間でどこも食べ物がなかったのでその場で別れた。「金がない」と言うとガイドが両替してやるといい、15ドルを110DHと変えた。今110DHしか持ってないと言って空の財布を見せるのだが本当だったのかどうか。でもどうでもいいやと思ってしまった。
寝ている間に何だかとても腹が立ってきた。フェズはしつこいガイドが群がるので有名だが「ちくしょーふくしゅーしてやるぅ。ガイドなんか鼻であしらってやるもんね」と思いながら眠りについた。
1月3日
8時にホテルを出て、今度こそいいホテルをと思って探した。MOUNIAという三つ星Aに部屋がとれた。202DHということだが、それくらい出すといいホテルに泊まれる。なんと部屋に暖房がついているではないか。バスタブもある。お湯も出る。トイレは水洗で、トイレットペーパーもついている。シャワーを浴びてさっぱりし、シャツを洗濯して、11時ごろまでごろごろしていた。
さて、世界一複雑と言われるメディナを歩きに行こう。「歩き方」の地図を破ってポケットに入れ、ホテルを出た。出たとたんにガイドが寄ってきた。フェズとそれからタンジュはガイドがしつこいことで有名らしい。「ノン」といって振り切り、その後も声をかけてきた何人ものガイドを振り切った。なにしろ、この一週間で砂漠を乗り切って強気になっていたし、ギリシャ人や台湾人の交渉ぶりも勉強させてもらったし、ゆうべの一件もあって、怒れる日本人なのだ。
フェズはモロッコで初めての都会だった。まるでパリのようだ。とってもきれいな女の子がジーンズとセーターで歩いていたりする。余り多くはないが男女で手をつないで歩いていたりもする。
メディナへ行く途中で郵便局があった。はがきを出したいけれど今日は休みだなあ。と、思いながら立ち止まると一人の男が近づいてきて「こっちだこっちだ」という。なんだろうと思ったら電話だった。「電話じゃない、切手だ」というと、「そうか、切手はこっちだこっちだ」と近くの売店のような所に連れていってくれた。「俺は郵便局で働いているんだ」と言う。うそつけ。その売店では「ハガキ2枚分の切手をくれ」というと8DHだと言う。あほか、少なくとも2.7DHでよいことはわかっている。「違う」と言うと6DHだと言う。「そうじゃない、その1.35DHのやつを4枚くれ。そうそう、そうだよ」。まったくしょうがないやつだ。売店を出るとさっきの男がまだいた。しつこいね、あんたも。無視して歩いていたらそのうち消えた。へへへ、なにしろ怒れる日本人なのだ。
メディナに近づくとまた一人ガイドが寄ってきた。こんどのはしつこい。
「がいど、がいど。私といっしょならメディナのすべてを見れるね」
「あっそう」
「20ドルでいいよ、OK?」
「やだ」
「あなた、どこ行きたい。10ドルでいいよ」
「ふうん。」
そのうち勝手にガイドを始めた。
「これは、OOOね。これはXXX」
「へええ、そうなんだ」
「ね。10ドル。OK?」
「やだ」
この男。むちゃくちゃしつこいんである。ゆっくりとぶらぶら20分くらい歩いただろうか。その間、まとわりついて勝手にガイドするのだ。「ふうん」「そうだね」「やだ」を繰り返して、適当に引きずりながら歩いていたらそのうち消えた。ざまあみろなのだ。怒れる日本人なのだ。
もう一人しつこいのに出会った。こいつも「俺は学生だ」「俺の店に来い」「10DHでいい」などと言いながら、勝手にガイドするのである。ちょうど皮なめし工場の近くで、勝手にそこに連れて行くのでついていった。革製品の店があって「見ろ見ろ」というので、中に入って奥の裏口から出ると皮をなめす場所だったので勝手に歩いた。「こっちへ来い、あっ、ばか、そっちじゃない、そっちじゃないっつーに」とかなんとかガイドが言っているのを無視して、うろうろして写真を撮った。店から出ると別のやつが「見学料、10DH寄越せ」とかなり強く言う。そんなものあるわけないので、「何のことだかわかんなーい」といって強引に逃げた。ざまあみろなのだ。怒れる日本人なのだ。お前らなんかに一銭たりとも、いや、一サンティームたりともやるものか。
さらに、勝手にガイドするやつがいた。そいつら二人には織物工場に連れていかれた。中に入るとジュラバ用の布を織る機械がいくつかあって、職人が布を織っていた。ガイドの一人がしきりに写真を撮れ撮れという。写真に撮りたいと思ったので、ガイドを無視して、職人さんに「フォト?」と聞くと金を請求するので、別の職人に聞いたら「いい」というのでカメラをだした。
すると、ガイドの一人が職人に代わって布を織りはじめた。なんてやつだ。これで写真代を請求するに決まっている。このやろ、と思ってカメラをポケットにいれて、他の方を見ていた。
一台、使っていない織り機があって、そこでお前が織っている姿を写真に撮ってやると言われ、そうやって撮った日本人の写真を見せられた。すきをねらって、さっきの職人が織っているところを撮った。その職人も「おい、金を寄越せ」などというのだが、用は済んだのでさっさと出ていくことにした。ここでも怒れる日本人なのだ。
まったく、こいつらときたら、日本人をなめているんである。かってにガイドするんだからさせておけばいいんである。「俺がいないとお前は迷うぞ」んなことわかっとる。こいつらは観光客を食い物にすると最後は自分たちが損をするということがわかってないのか。なんで、こんなふうになってしまったのだ。それとも、これで彼らはうまくやっているのか。こんなに悪名高い嫌われ者なのに。そういうわけだから、フェズを訪れる日本人のみなさんは金を払ってはいけないのだ。ニホンジンカネハラワナーイなのだ。迷うのがいやなのなら、オフィシャルガイドを雇うべし、なのだあー。
とはいうものの、もしフェズがモロッコに来て最初の町だったなら、もしヨーロッパ人から学んでいなかったら、怒れる日本人でなかったら、やっぱり払ってしまうだろう。だって、10DHといえば140円。50DH払ったって700円でしかない。それに、向うからしてみればガイドもつけずに皮なめし職人や織物職人の見学をするなど「むむっ、許さぁーん」というようなものなんだろう。
夕方カフェでぼーっとしていると若者が来てメディナを案内すると言った。そして、日本人がその男について書いたものを見せてくれた。「こいつはいいやつです。他のガイドと違って金を要求しません。」とか「この人はホントにいい人です。私は感謝の気持ちとして10DHあげましたが、あくまで気持ちです。強制ではありません」とか「私はペンをあげました」とか書いてある。
そうなのだ。感謝の気持ちなのだ。日本人は感謝の気持ちとして10DHくらいやるのだ。チップがわりだ。でも、趣味でガイドするやつがいるなんて絶対信じられない。よく考えると10DHといえば結構な金なのだ。パンにいろいろはさんだサンドイッチのようなものなら2回食える。ハリーラとパンなら5回食えるぞ。日本で言えば1000円くらいじゃないだろうか。
この問題はとってもむずかしい。いままで会ったヨーロッパ人たちは、パリやロンドンやマドリッドに住んで、うんと金のかかる生活をしているはずなのだ。しかし、この社会では必要以上の金は絶対に払わなかった。一方で金をばらまくヨーロッパ人観光客だっているだろうと思う。
だって、こんなに安い国なんだからいいじゃないか。かれらの生活を助けると思えば。という考え方もあるのかもしれない。感謝の気持ちなのだ。チップがわりなのだ。
というように、いろいろと考え込んでしまう日本人なのであった。