1992年12月26日 – ワルザザートへ
というわけで,カサブランカでもマラケシュでもなくいきなりワルザザートに行くことになってしまった.もちろん,マラケシュへは行くつもりだ.
朝8時ごろ起きてチェックアウトをすませ,近くで朝食をたべながら明るくなるのをぼんやり見ていた。リュクサンブルグの交差点にある店内で食べられるパン屋みたいなところでクロワッサンとカフェで 10フランだった。どうもカフェの朝食は高いなあと思っていたのだが,こういうところに来ればよかったんだな。
オルリー空港へは RERのC線で行くことにした。こんなに近くに,こんなに立派な空港が二つもあるなんてうらやましい。RERの切符を買うとき42フランもしてなんだか高いなと思ったら,一等だった。切符1枚のつもりで一本指を出したら勘違いされたらしい。まいっか。
ロイヤルエアーモロッコの飛行機が高度を下げ,雪化粧のアトラス山脈を過ぎ,やがてあたりは砂漠となった。窓から下を見ると水の無い川がある。きっと,たまに降る雨で川ができるのだろう。それにしても,こんなに高度を下げているのに空港はいったいどこにあるんだろうと思っているうちに,飛行機はどんどん高度を下げ,突然現れた滑走路に着陸してしまった。
この空港はすごい,すごすぎる。砂漠の真ん中にぽつんと滑走路と小さな田舎の駅みたいな建物があるだけだ。飛行機から降りてみて分かったが,建物の色が茶色で回りの色と同じなのでどこに空港があるのかわからなかったのだ。
パスポートコントロールではホテルの名前を聞かれた。適当に「歩き方」の最初に載っていた「アトラス」と答えると,その係官はそばにいる別の係官に向かって「おい,おい,アトラスだってよ」とか何とか言った。もう一人の方の係官が日本語で「コンバンハ」とあいさつするので,思わずにやりとして「こんばんは」と答えてしまった。ちなみに「アトラス」は一番の安ホテルである。
まずは両替である。空港にある銀行のカウンターでは係が一人でやっているのでかなりの行列ができている。そのうち替えるお金がなくなって,「ちょっと待ってくれ,いまお金が来るから」なんてやっているものだから時間がかかる。この両替には日本円が使えた。100円 = 7.029 DH(ディラハム)
飛行機はモロッコ人でいっぱいかと思いきや,休暇で出掛けるフランス人でいっぱいだった。それで余計混雑している。パリのオルリー空港も大変な混雑だった。クリスマス & ニューイヤー休暇でフランス人がどっと繰り出すようだ。地の果てに来たかのようなこの小さな村だが,フランス人は気軽にふらっと来てしまうようだ。
ワルザザートの空港をでたが,といっても田舎の小さな駅の前の広場のようなものなのだが,はてさて,どうやって町までいけばいいのか,そもそも町までどれくらいあるのか,それさえもわからない。マイクロバスがいたので聞いてみたらプライベートツアーのチャーターだという。困ったなあどうしよう。タクシーにするか。
しかたがないのでタクシーを使うことにした。空港で両替するときフランス語でパスポートの発行日やらなにやらを聞いてくるのを英語で助けてくれたフランス人のおばちゃんがいたのだが,彼女がタクシーで町へ行くというので同乗させてもらった。すでに運ちゃんと交渉してあって,30DHだという。おばちゃんが細かいのを10DHしか持ってなかったので,僕が 20DH払った。
ホテルはアトラスに部屋をとった。31DHだった。アトラスは2階建てで屋上にでることができる。屋上に行ってみるとロープが張ってあって,誰かの洗濯物が干してある。ようするにそういう安ホテルだ。屋上に出るとちょうど太陽が沈みかけていた。夕日が町を照らしとても美しい。
街をぶらぶら歩いているとカフェでお茶している若者たちに呼び止められ,彼らとしばらく話した。皆,英語が片言だけれどなんとか話ができた。本当かどうか知らないが,英語は学校で習うのだという。みな学生で,いまは10日間の休日だという。これも本当かどうかは知らないけれど、ここへは日本人は余り来ないという。本当に通じているのかわからない感じでしばらく話したが,悪いやつらでもなさそうだ。
その中のひとりにハンマム(公衆浴場)の場所を聞いた。すると,俺が連れていってやると言う。そこで,一旦ホテルへ帰って,石鹸,シャンプー,タオルを持ってハンマムへ連れていってもらった。俺の分も払ってくれというので10DH払ってやった。授業料ということで,まあ,いいだろう。ハンマムで久しぶりに丁寧に体を洗い,温まった後,いっしょに飯を食おうと言う。こっちに払わせる気らしいのがわかったが,なにせモロッコ第一日なのでつきあってもらうことにした。とても小さくてフランス人なんかはまず来ないような店で鶏肉を食べて一人15DHだった。結局,食事をおごってやった。そのあとお茶までおごってやった。ちょっとやりすぎたようだ。
あとでわかるのだが,このハンマム 10DHというのはとんでもなく高い値段だった。
そのあと,水を買って返って今日は終わり。水は1.5リットルで5DHだった。
星を見てみようと思って屋上へ行った。うろうろしていると……。うわああ,びっくりした。物置みたいな所に人がいる。屋根裏の怪人かこいつは。実はこのホテルには屋上にも部屋があるのだった。こっちへ来いというので部屋に行ったら,モロッコ人だった。ワインを御馳走になった。なんでも,マラケシュから来たのだという。何をしているのだろう。一人で寂しそうだ。フランス語で話しかけてくるがわからない。フランス語が話せたらいいのにと思った。
しばらく旅してわかったのだが,このようにホテルの屋上にも部屋があるのは普通のことのようだった。
1992年12月27日 – カスバに行き、帰りにおばちゃんたちに会う
近くにあるタウリルト(住んでいた人の名前)のカスバ(砦みたいな所)へ歩いて行った。ここは観光の名所で,フランス人の家族連れなどが近くのホテルからてくてく歩いてやってくる。5DH払って中に入ると,中は別になんということもなく,カスバの中はこうなっていますよというだけの話しだ。説明が無いとさっぱりわからない。
出口でお前は日本人かと呼び止められた。時計機能付きの電卓の時刻をセットしてほしいと言うので,時刻と日付をセットしてやった。どこで手に入れたのだと尋ねると,ユネスコのなんとかいう組織で働いていた日本人の技術者にもらったのだそうだ。
タウリルトのカスバを出て近くを歩いた。路地を奥のほうへ入っていくと普通の人々が住む村のようだった。しばらく歩いて行くと広場があって,そこには水道があった。見ていると子供たちがポリタンクを持って水を汲みにやってくる。 時々,フランス人観光客ともすれ違う。子供たちはとても明るくて「サバ?」「ジャポネ?」と声をかけてくる。あぁ,フランス語ができたらいいのになあ。子供たちに「フォト?」といって写真を撮らせてもらった。
町の中心へ戻ろうと思って歩いていると,洗濯物と洗濯板を入れた大きなたらいを頭にのせておばちゃんたちがどこかへ向かって歩いている。天気のいい日曜日なのでどこかへ洗濯に行くんだなあと思ってあとをついていった。
近くの川まで行って洗濯を始めたおばちゃんたちを少し離れた横で眺めていたら,向うから声をかけてきた。「サバ?」「ウィ,サバビエン!」。フランス語でいろいろ話しかけてくるのだけれどさっぱりわからない。ちぇっ,フランス語ができたらなあ。ともかく,「スペイン人か」などというので「日本人だ」と言い,「旅行者か」というので「そうだ旅行者だ」と答えた。写真を撮らせてもらおうと思って,カメラを出して「フォト?」と聞くとアドレスを教えるから日本に帰ったら写真を送ってくれというので,アドレスを交換した。そんなわけで川で洗濯するおばちゃんたちの写真を撮った.うーむ,素敵なおばちゃんたち。
昼過ぎにバスターミナルの近くで日本人の女の子6人組に出会った。こんなところで日本人に会うとはねえとちょっと感動した。とはいうものの,実はこんな田舎町でも「コニチハ」「コンバンワ」なんて声を掛けてくるやつがいるのだ。ということは日本人もここにたくさん来ているってことだな。
午後はアイトベンハッドゥというきれいな村に行った。
小川が流れ緑が美しく夏の盛りならとてもいい所なんだろうなと思った。ここは,ワルザザートから30Kmほど離れているので,タクシーを使って行くしかない。運転手と交渉して往復と現地で45分の見学の時間を入れて200DHということになった。むちゃくちゃ高いんだが「歩き方」によれば,ツアーで140DHなどと書いてあることからこの値段で手を打った。こういうときはグループだとお得だ。6人組の彼女たちも行くと言っていたので便乗すればよかったなあ。