マンチェスターでのんびり過ごす

7月1日

ニューヨーク発のUA908便は朝7時にロンドン、ヒースロー空港に到着した。成田を出発したのは昨日の夕方5時、今から22時間前だ。思ったよりつらくはなかった。少なくとも何年か前にのったアエロフロートよりずっといいと思う。

イギリス行きの目的はマンチェスターに住む友人夫妻を訪ねることである。

友人と前もって打ち合せた通り今日の午後3時の列車でマンチェスターに向かうことにし、空港から電話でそう伝えた。マンチェスター行きの列車はユーストン駅から出る。前もって調べたところによるとユーストン駅に荷物預りがあるらしく、とりあえずユーストン駅に行くことにした。

さて、荷物を預けて身軽になったが、午後までどうしよう。この近くで何か見るものはないかというと……、大英博物館である。大英博物館を見学することにはしたものの、ささっと流して見学してコベントガーデンへ向かった。やはり疲れていたせいかそれほど大英博物館には興味を持てなかったんだ。

レスタースクエア、ロンドン - Lecester Square by Ik T

レスタースクエア、ロンドン - Lecester Square by Ik T uploaded on 16 Nov 2008

とてもいいお天気だったせいでコベントガーデン周辺はたくさんの人で賑わっていた。こういう賑わいって結構好きなんだ。地元の人も観光客も思い思いの格好で夏の日差しを存分に浴びながらベイクドポテトを食べたり道端の弦楽四重奏を聞いたり大道芸を見たりしている。そんな中の一人となってぼんやりひなたぼっこするのって幸せだなあ。

ベイクドポテトの店があったので買ってみた。このポテトがすごいんである。大きいんである。「ベイクドポテト+おかず」という形式で注文するのでチリビーンズをいっしょに頼んだのだが、すぐ後悔した。多過ぎて食べきれない。特大じゃがいもだけでよかった。

貧乏音大生のアルバイトなのかしらないが道ばたで弦楽四重奏をやっていた。その時はおやめずらしいなと思ったのだが、実はロンドンではレスタースクエア周辺であちこちでやっていた。なぜか決まって「ボレロ」の演奏で盛り上がるのだ。他には「天国と地獄」とか「ハンガリー舞曲」とか曲目はある程度決まっているみたいだった。そういう曲が受けがいいんだろう。中には誰も知らないようなバロック音楽をやっているグループもいたけど、こちらはとても真剣な表情で演奏していて、それになんだか上手だったような気がする。

みんな音楽が好きみたいだった。若者も老人も男も女もさまざまな人が集まって聞いている。子どもも座り込んで聞いている。指揮者の真似をするおじさんもいる。こういう所が成熟した文化の国っていうか、ちょっと日本の風景と違うぞっていう気がする。原宿のホコ天でやってるやつもあれはあれでいいと思うんだけど、特定の層が集まってそれだけで閉じちゃってる感じがする。みんなのものって気があまりしない。

そうこうしているうちに午後2時近くなったので駅に向かうことにした。途中、パブがあって店の前の歩道でネクタイ姿の会社員がたむろしてビールを飲んでいた。金髪のお姉さんも飲んでいた。昼休みってことかな。ちょっと遅くないか? 仕事はどうした?。大きなお世話か。まぁいいや。

ロンドンのパブ, The Round House by Ik T

ロンドンのパブ, The Round House by Ik T uploaded on 16 Nov 2008

さて、午後3時にユーストン駅をでた列車はずーっと変わらぬ景色の中を気持ち良く走ってゆく。本当にずーっと同じ風景なもんでいやになってしまった。時差のせいかとても眠くなってきて、そして、やさしい日の光が心地よくてくーくー寝ているとマンチェスターに着いた。

駅に着く直前のアナウンスで「ようこそ、オリンピックシティ、マンチェスターへ」なんて言ってた。まわりの人は苦笑していた。僕は意味がわからなかったのだが、あとでマンチェスターがオリンピックの候補地であることを聞いた。でも、敗れちゃいましたね。

駅に迎えに来てくれていた友達に会い友人宅へ向かった。日本人はみな市の中心からかなりはなれた南側の郊外に住んでいる。別の日に友人が通う大学から友人夫婦の家まで車で移動したときになんだかすぐに着いたような気がしたのだが、家から大学まで10キロと聞いて驚いてしまった。

友人夫妻の家に着いた。中を見てもうびっくり。ベッドルームが三つあり、広過ぎるくらいのキッチン、ダイニング、リビング、広い庭と、もう羨ましくなるような所だった。僕は窓のある広い部屋を使わせてもらった。高級ホテルみたいな大きなベッドが置いてあった。

イギリスの友人宅の庭

イギリスの友人宅の庭

なんでも庭師が来て庭の手入れをするのだそうだ。ただし、雇っているのは大家さんである。庭には色とりどりのバラがたくさん咲いていた。オリバー君と名付けたリスがやってくるのでよくピーナッツを撒いておくそうだ。でもそのピーナッツはコッコちゃんと呼んでいる、鳩よりちょっと大きな鳥が来てぜぇーんぶ食べてしまうのだそうだ。

あたりはとても静かで、家の中で話をやめてしまうとしーんとして気まずいくらいの静けさだ。

夜の10時でも外は明るかったが旅の疲れと素敵なベッドのおかげで深い眠りに落ちた。


7月2日

バタミア湖畔 by Ik T

バタミア湖畔 by Ik T uploaded on 16 Nov 2008

友人に「物音一つ立てずに熟睡してた」と言われるほどに、いやあ、よく寝たぁ。自分の部屋で寝ているより深く眠った気分だった。

今日は湖水地方へ出かけることになっている。

友人の車で北の端の街であるケズウィックへまず入った。ストーンサークル、バタミア湖畔、ホークスヘッドの土産屋、ピーターラビットの故郷、ヒルトップと回った。まあ基本を押えた感じです。

バタミア湖畔でお弁当を食べたけど、誰もいなくて静かでとっても感じのいい所だった。

ピーターラビットのマグ

ピーターラビットのマグ

ホークスヘッドのお土産屋さんでついついピーターラビットのマグを買ってしまった。定価で確か6ポンドちょっとだったが、ロンドンではセカンド品が半額で売っていた。ちなみに、近所のダイクマでは「半額」と称してイギリスの定価とおなじくらいの値段で売っていた。


7月3日

2日目の今日はヨークである。「日本人はなんで誰も彼もヨークへ行くんだ?」とは某イギリス人の弁だがそんなことはないと思うぞ。ヨークは各国からの観光客であふれていた。日本人だけじゃない。

ここのところずっと天気がいいそうで、今日も素晴らしい天気だ。これはめずらしいことのようだ。

クリフォードタワーから見たヨークミンスター - York Minster by Ik T

クリフォードタワーから見たヨークミンスター - York Minster by Ik T uploaded on 16 Nov 2008

ヨークミンスター - York Minster by Ik T

ヨークミンスター - York Minster by Ik T uploaded on 16 Nov 2008

ヨークミンスターを見学し、シャンブルズと呼ばれる石畳の通りを歩き、クリフォードタワーに登り、それから、キャッスル博物館を見学した。

このキャッスル博物館だが、様々な年代の「生活」に関するものをこれでもかというほど集めて陳列している博物館である。これでもかというほど並べてみせるというのがポイントで、イギリス人はそういうのが好きなんだろうか。

各年代の暖炉がずらーっ。台所がずらーっ。とまあこんな調子である。暖炉ばっかりがずらーっと並んだところを一つ一つ見ていくことを考えて欲しい。「ほほう、これが1800年でこれが1820年か。なるほどちょっと違うねえ。」とか言うんだろうか。

1960年ごろの生活までがコレクションの中に入っていた。私の生まれた年の製品もあった。もう一昔前になってしまったんだ…。

帰るころになってもいつまでも明るいというのは本当にいい。でも、冬は結構悲惨なんだそうだ。朝出る時はまだ暗くて帰る時も暗い。3時頃暗くなっちゃうそうだ。想像しただけでやんなっちゃうよねえ。そういう意味じゃ日本なんかはバランスがとれててちょうどいいんじゃないだろうか。

 

7月4日

今日はマンチェスター市内からさほど遠くない所にあるナショナルトラストの公園にでかけた。

ここは昔の貴族の屋敷だそうだ。門を入ると並木道がずーっと続き、しばらく行くと広大な緑の草原が広がっている。たくさんの羊や山羊がうろうろしている。どうも彼らは人間には無関心らしく、知らん顔してむしゃむしゃ草を食べている。草原の向こうには池、というか湖があるらしい。ま、相当な広さの公園が昔は誰かの家だったと、そういうわけである。

そのお屋敷とやらを見学できるという。どんな風かというと、そうだなあ、ベルサイユ宮殿とかああいう感じ。長方形の大きな部屋がたくさんあって立派な絵が掛けてあって見事な装飾がなされているという、そういうお家。

あれだけ広いと誰かを探すのにも家の中のどこにいるんだかわかんなくて大変だろうと思うんだけどなあ、などと変なことを考えてしまった。

そういうきれいな部屋だけではなくて、地下の台所だとか、ワインセラーだとか、食器をしまう部屋だとかも見ることができる。むしろ、そういう部屋の方が面白いかもしれない。台所がね、すごいんだよね。台所っていうより調理場って言った方がいいかもしれない。僕が住んでる部屋全部よりも広いね、たぶん。

ナショナル・トラストについて。 ナショナルトラスト - Wikipedia