1月7日

これといって何もすることのない僕は、今日もジャマエルフナ広場をずーっと眺めていた。午前中はミントティーをもう一袋とスカーフやキーホルダーなどをお土産に買って、お昼を食べてからはカフェの2階のテラスでずーっと広場を眺めることにした。どこか名所を尋ねてもよかったのだが、ここでは全然そんな気にならない。午後4時頃になるとあちこちから屋台がやってくる。「おぅ、来た、来たー」と思っている間もなく、昼間はセーターを売っていた場所が少しずつ屋台に変わっていく。なんだかんだで暗くなるまでそうして眺めていた。

広場ではわけのわからない大道芸、わけのわからない蛇使い、わけのわからない音楽演奏などがあり、ときおりガイドが連れてくる団体観光客が目の前を通るとこの時とばかりに懸命に楽器を鳴らし、蛇を踊らせ、そして金をねだるのだ。団体観光客の列それ自体も上から眺めていると蛇みたいなものだ。ぞろぞろ、くねくねと歩いて広場を横切っていく。団体観光客はヨーロッパ人のおじいさん、おばあさんが多いのだが、意外と金払いはよくない。

夕方になってさすがに飽きてきたので広場に降りた。どうしようかと迷っていたセーターを買うことにした。もう店じまいなのか安売りの状態に入っているようだ。値段はわからないのだが「さあさあ、○○ DHだよー。持ってけぇー」とかなんとか言っているのがなんとなくわかる。どれにしようかと眺めていたら値段を教えてくれた。80DHだった。

例によって屋台で食事をしてオレンジジュースを飲んだ。最後の夜なのでもう少しぶらぶらしようと思って広場をうろうろした。8時ころになるとハリーラの屋台もほぼ売り切れで、値段も1DHになっていた。ハリーラの屋台では10代と思われる女の子がハリーラをすすっていた。そういえば屋台で食べるモロッコ人の中に女性はほとんどいない。

これで、マラケシュの夜も終りだ。さらば、マラケシュよ……。

と、この時は思ったんだよなー。まさか、またマラケシュに舞い戻るはめになるとは。

1月8日

10時のバスでワルザザートへ向かった。最初の町に戻るわけだ。長かった旅も終りだ。あとは日本へまっしぐら、明日の夜には東京行きの飛行機に乗っているんだもんなあ。なんてことを考えていたのだよ、この時は……。

ワルザザートの町にバスが入ると見覚えのある建物が目に入り、懐かしさを覚える。パリでもローマでも一度来た所を再び訪れるとそんな感じがするものだ。たとえ2、3日滞在しただけでも。

ワルザザートは意外とりっぱな町だった。旅の最初は小さくて何もない村のような印象を受けたのだが、けっこういろいろなものがある。ロイヤルエアーモロッコのオフィスもあるし、銀行も実は何軒かあった。スーパーもメインストリート以外にももう一軒あった。

明日のパリ行きの飛行機は朝、8時半出発だ。一応国際線だから2時間前に空港に着くべきだろうと思って、6時半ごろ空港に行くことにした。タクシーはとてもつかまらないだろう。ホテルで聞くと空港まで3キロだという。歩いても30分くらいだ。たいしたことはないと思って、歩くことにした。

1月9日

この日のことも決して忘れないだろう。いま思い出しても夢のようだ。それは突然やってきた。災難は突然やってくるものだ。おまけに知らないのは自分だけであって、災難の方はちゃくちゃくと進行していたのだ。ったくもう……。

6時に起きて空港へ向かった。まだ夜明け前で、特に空港へ行く道は灯りもついていないのでまっ暗だ。6時半すぎに空港へ着くと、まだ誰もいなかった。

……

と、まもなく二人組の男がやってきて、「おい、お前はこんな時間にこんな所で何をしている」などと聞いてきた。俺たちはポリスだという。商人には強気でも役人には逆らっちゃいけないのだが「何をしてるったって、そりゃ……」

8時半の飛行機に乗ることを説明して、彼らといっしょに空港の中に入った。しばらく、一人で待っていたが客らしき人間は一人も来ない。そんなもんかなあと思いながら、日が登るのを見ていた。

空港の中のホワイトボードにスケジュールが書いてあって、8時半のパリ行きの飛行機は7時50分にこの空港に着くことになっている。8時になっても来ないので変だなあと思っていると係員が言うではないか。

「その飛行機は来ないよ」

がびーん……。悪い冗談はやめちくれぇー。

「昼過ぎにパリ行きがあるからそっちに変えなくちゃなあ」

あの……。そう簡単に変えられるわけねーだろ。

もっと確かそうな人間に聞いても、やっぱりその飛行機は来ないという。彼らが言うには、Nouvelles Frontieres のオフィスがあるからそこへ行くのがよいらしい。そんなものが町にあったとはしらなかった。

車に乗せてくれることになり、ほとんど行きかけたところに何やらりっぱな観光バスがやってきた。Nouvelles Frontieres のチャーターバスだった。僕を拾いに来たのだった。

Nouvelles Frontieres の人が言うには、「これからマラケシュへ行き、一泊して明日のパリ行きに乗せる」とのことだ。冗談でしょう。それじゃ間に合わないよう。とにかく問題は「今日中にパリへ行かなければ、東京行きにも乗り遅れてしまう」ということなのだ。

それを伝えると向うも困ったような顔をして「昨日、言ってくれればなんとかなったのに。なんで再確認しなかった」などどいう。「えっ、再確認したよ」というと「Nouvelles Frontieres にか?」だって……。

なんでも「チャーター便なので旅行代理店の方に確認してくれなくちゃだめだよ」などというのだが、そんなこと知らなかったもん。

とにかく大パニックの状態の中、なんとか手立てを考えなければならない。「一緒にマラケシュへ行けば、2時半の飛行機に乗れるかもしれない」というのでそうすることにした。「その場合はチケットを自分で買うことになるぞ」というがそんなことはかまわなかった。

バスはいったん、ワルザザートの郊外の高級ホテルに行き、そこで同じ飛行機に乗るはずだった観光客を大勢のせた。こっちとしては一刻も早くマラケシュへ行かねばならんのに、なんでああいう観光客はのろのろしているのだ。「いつまでもしゃべってばかりいるんじゃない! 早くバスに乗りなさい」と心の中で毒づきながら、絶望にうちひしがれて、ひとりうなだれるのであった……。

やがて、バスは出発した。9時半くらいだったろうか。路線バスだと5時間かかるということは……。二時半に間に合うわけないじゃんか。こいつ信用できんのかなあ。とまあ考えてはみたもののどうしようもないわけで、とにかく時間が立つのをじっとこらえて待つという、そんな感じだった。

バスは新しくてりっぱだったのでとても快適だ。とてもスピードを出すので、どうやら1時くらいには着けるかもしれない。と思ったら、休憩してしまった。おいおい、そんなに喜ぶなよー。早く行った方がいいって。

願いもむなしく20分の休憩が宣言されてしまった。他の観光客ときたら旅行が無料で一日伸びてラッキーくらいにしか感じていないのだ、きっと。人の気も知らないで。休憩の間、観光客はお茶をのみ、僕はいらいらしながら待っていた。いざ、出発というときも、のんきにお土産やさんに夢中になって遅れて来る奴がいるのだ。

いらいらしながらのバス旅行で、ほとんど口を聞かずになんでこんなことになってしまったんだろうと考えていた。旅行代理店の人と話してだんだんわかってきたのだが、

  1. このフライトは Nouvelles Frontieresのチャーター便だった。
  2. しかしキャンセルされた。
  3. Nouvelles Frontieres がバス・ホテル代を持ち、代わりの飛行機に乗せる。
  4. Nouvelles Frontieres に再確認すればこんなことにならなかった。

とまあこういうことだ。

さらに、これはもっと後で気づいたのだが、彼が言うNouvelles Frontieresに再確認すれば……という言葉が気になってあちこちを調べてみた。チケットには何も書いてなかったが、買った時にもらった紙になんとそれらしきことが書いてあるではないか。フランス語なのでよくわからないが、reconfirmer とか 48 heures とか書いてある。しかも、ワルザザートの Nouvelles Frontieres のオフィスの住所と電話番号が書いてある。

これにはショックだった。もう少し自分が注意深ければ防げたかもしれないのだ。こういう書類のすみずみまで目を通すことくらいはできてもいいことだった。個人旅行では常識的なことではないだろうか。これに限らず、「もし自分があのとき気づいていたら」というやつは悔やんでも悔やみ切れないものだ。もし、チケットを買った時リコンファームについて尋ねていたら、もしロイヤルエアーモロッコのオフィスでもっと強引に再確認させていたら、もしちゃんと紙のすみずみまで読んでいたら、もしNouvelle Frontieres のオフィスがモロッコのあちこちにあることがわかり、確認してみようという気になっていたら、まあ、これはちょっと思いつかないが……。いくら考えてもしかたない。人間、常に完璧ではないということで自分を慰めることにした。

バスはマラケシュに着いた。連れていかれたホテルは郊外にあるトロピカーナとかなんとかそんな名前のとにかく高級ホテルだった。こちらとしては気が気でないのだが、旅行代理店のお兄さんは他の客の世話でそれどころではないらしい。こういうときに限って、どいつもこいつもおしゃべりばかりで、のろのろしていたり、ジャマエルフナ広場の観光についてなどつまらんことを尋ねたりするのだ。

やっと他の客をホテルのレストランに押し込んで時間をつくってもらったので、パリ行きのチケットを調べてもらった。

2時半のパリ行きはフルだった。

果たして無事帰れるのだろうか。

なおも、なんとかしてくれえーと食い下がると、とんでもない案を出してきた。今からカサブランカに行ってアムステルダム行きの飛行機に乗れというのだ。アムステルダムからパリへは毎時フライトがある。ここから、カサブランカまではタクシーで2時間、6時の飛行機に乗ってアムステルダムまで3時間、そこからパリまで1時間、何とか間に合うかもしれないというのだ。

ちょっと考えたが、間に合うわけがないと思った。間に合ったとしてもぎりぎりじゃないか。おまけにべらぼうな飛行機代がかかる。カサブランカからアムステルダムまで8万円とさらにアムステルダムからパリまで出さなければならない。ついでにカサブランカまで1000DHもかかっちゃうのだ。こんなにリスクの多い案は受け入れられないなあと思いながらも、他にどうしようもないのでひとまずロイヤルエアーモロッコのオフィスまで行くことにした。

「大丈夫だから。きっといけるよ」などと言うので、荷物をタクシーに積んでカサブランカまで行くつもりで、一緒にロイヤルエアーモロッコのオフィスまで行ってもらった。土曜日なので3時から開くのを待って、カサブランカからアムステルダム行きの予約と、パリ11時に間に合うかどうか調べてもらった。

結果はノー。どうやっても間に合わないことがわかった。この時点であきらめがついた。しかたがない、今日はマラケシュに一泊して明日パリに戻ろう。

タクシーの運転手に100DHなどいうべらぼうな金を請求されたが、こんなときなので払ってしまった。カサブランカまで行くと言ってあったので、彼は警察の許可をとってしまったのだ。それに彼を30分も待たせてしまった。

さて、結局、ホテルに帰ってチェックインした。もちろんホテルと明日のパリ行きは向こう持ちだ。

それにしても、これからどうなるのだろう。ちゃんと帰れるだろうか。

気分は絶望のどん底だった。与えられた部屋は見知らぬ人と一緒だったが、これをシングルに変えさせる元気だけは残っていた。今日はどうすることもできないし、せっかくの高級ホテルなのだからいろいろ楽しめばいいようなものだが、そんな気にもなれず、シャワーを浴びるとベッドに入って本を読んでいた。このホテルはおそらく新市街にあるリゾートホテルで、中庭にはプールがあったりするそんなホテルだった。

午後7時から皆で食事に行くというのでロビーへ降りていった。観光バスで連れていかれたレストランはとんでもなく高級な所だった。バスを降りて立派な門をくぐると両側に楽器を持った男たちと民族衣装に身を包んだ女たちが並び、我々を歓迎してくれるのだ。

ふかふかの絨毯が敷かれた大きな部屋に通された。回りをぐるりとソファーが取り囲み、低い丸テーブルが置かれている。食事が始まるとさっきの男たちと女たちがやってきて、音楽と踊りを披露してくれる。しかし、気分が暗ーくなっていって楽しむどころではなかった。僕はそれほどのタフさは持ち合わせていないようだ。

いっしょのテーブルになった人と話しをしていると少しは気が紛れた。話しをして、といっても皆はフランス語でおしゃべりし、時々英語のできる人が僕に気を使って話しかけてくれるだけだった。こっちも調子が悪くてほとんど黙っていた。それでも僕の抱えている問題を話すと少しは明るくなった。となりのおばちゃんが「まあ、カタストロフねぇ」といってくれた。

反対側の隣に座ったカップルはヒッチハイクで砂漠や大西洋側に出かけたのだそうだ。それぞれニュージーランドとイギリスの出身でフランスに住んでいるそうだ。ここにいる人たちはお金持ちばかりかと思ったが、中にはこういう人もいるのだった。少し親近感を覚えた。

長い食事を終え、ホテルの部屋に戻った。とにかく早く明日になって欲しかった。

1月10日

12時頃ホテルを出て、マラケシュ空港に向かった。

空港で、なんと例のギリシャ人にばったり出会った。あれからぼくはフェズ、マラケシュと回ってワルザザートへ行ったこと。フライトがキャンセルされたことなどを話した。「とても大きな問題があるんだ」と言って、東京行きのフライトが昨日だったことを話した。「たぶん、新たにチケットを買わなければならないかもしれない」というと「そうならないことを願うよ」と言ってくれた。

パリ行の飛行機は CORSAIR というパリの航空会社のもので、B747だった。搭乗ゲートが開くと各自、てくてくと飛行機に向かって歩き、B747の羽の下を通って、後ろから搭乗した。

飛行機は午後3時過ぎに離陸した。モロッコよ、さようなら。ほんとにいろんなことがあった。正直言ってなんだかほっとした。やっと文明国に戻れる。本気でそう思った。

オルリー空港は大荒れの天気だった。パリに近付くに連れて飛行機の揺れが激しくなった。最初は気流の乱れかと思い、そのうちおさまるだろうと思っていたのだが、とんでもない。すでに着陸の態勢に入っているのに機体はガタガタ揺れ、時々、すーっと降下するのだ。あまりの揺れに心底恐怖感が湧いてきた。すでに車輪を出して、降下を始めているにもかかわらず、ときどき機体が沈む。揺れは相変わらず激しく、こんなに恐いと思ったのは初めてのことだ。ほんとに事故が起きるのではないかと思った。できれば生き残り組に入りたいなあなんて考えた。

無事、着陸した時には乗客は大喜び。機内から拍手が湧いた。誰も彼もほっとしたようだ。ずいぶん、長いこと待たされたあげく、ようやく外に出ることができた。外に出ると、オルリー空港は雨混じりのものすごい強風だった。よく、こんな風の中を着陸したものだ。それにしてもひどい天気だ。まるで、今の僕の前途を象徴しているかのようではないか。

時刻は8時近くなっており、もうまっ暗だ。荷物を受けとるとさっさとパリ市内へ行くことにした。空港の中からしてもうモロッコとは全然違うのだ。わかりやすい案内にしたがって進むと、RERのB線へ向かう無人電車の改札が直接ターミナルに接続されている。また、切符はクレジットカードでも買うことができるのだ。ほとんど歩かずにもう無人電車の中だ。やがて、RERのB線の乗り換え駅に着く。ここからは30分もしないで市内に行くことができる。

今夜もリュクサンブルグ近くに宿をとった。うまいことに、すぐ近くにはエールフランスのオフィスがあるのだ。いいホテルを選んだので、ホテルは400フランもした。ユニットバスがついた日本でいうビジネスホテルみたいな所で、部屋もきれいだった。キーはオートロックのカード式で、それから部屋にテレビがついている。やっぱり贅沢っていいなあ。

さて、さて、明日は気合いをいれて交渉しなければならない。日本に電話をかけなければならないので夜中までテレビを見ながら、明日のことをあれこれ考えていた。

1月11日

さっそく近くで朝食をとり、エールフランスのオフィスが開くのを待った。9時になりオフィスが開くやいなや交渉開始である。

「あのー、実はですねぇ。東京行きのフライトを逃しちゃったんですよー。それというのもですねぇ、モロッコからパリへのフライトがキャンセルされてしまいましてねえ。ええ、これがチケットなんですけどね。えっ、スペシャルチケットって、それはよくわかっているんですけどね。ルールはもちろん知ってますよ。そこをなんとかお願いできないかと、こういうわけでしてね。えへへへへ。ねえお願いしますよぉ。今週から仕事なんですよ。ね。ホントは東京にいなくちゃいけないんですよ、私」

というような感じだが、応対してくれたおばちゃんは

「うん、うん、わかるわぁ。だけどねえ……。」

といった感じでいまいちだ。

結局、「東京のオフィスにあなたを乗せてもいいかどうか聞いてみなくては」ということになり、「東京はまだ開いているけど、うーん、明日いらっしゃいな」と言われた。

そこでホテルの電話番号を教えて、何かあったら連絡してもらうことにして、しかたなくホテルに戻った。

ここで一日待つか、別のチケットを買ってしまうか考えて、この際、別のチケットを探してさっさと帰ることにしようと決めた。一時間ほどして、もう一度、エールフランスに行ってみた。

「東京は何か言ってきた? 」
「ノー。何も」
「ねえ、ボスが怒っててさあ。今日帰りたいんだよね。仕事が待ってるしさあ ボスも早く帰ってこいってカンカンでさあ。ねえ、何とかしてよぉー。どーしても今日帰んないといけないの。ねっ、助けて、お願い……」

そうこうしているうちに、相手をしてくれていたおばちゃんが、いや、お姉さんがチケットを貸しなさいと言って、奥へ行ってしまった。

長い長い数分が過ぎた後、お姉さんが戻ってきてこう言った。

「あなたのために予約をしてあげたわ。いいこと、これは very unusual thing なんですからね」

やっほー。unusual なことくらいわかってまーす。

「今すぐ、空港へ行って頂戴。今度は絶対に逃しちゃだめよ」

あったりまえでーす。

チケットさえ手に入れればこっちのもの。普通の客と何ら変わりはない。

というわけで、数時間後、僕はエールフランスの機内でふんぞりかえってシャンパンを飲んでいたのだった。エールフランス万歳!!!

* * *

こうして、予定20日間、実績22日間の長かった旅が終った。実によい旅だった。

 
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