砂漠でらくだに乗る

1993年1月1日

翌朝、起きたとき、来るときにいっしょだったマドリッド在住イギリスギャルが車で町へ帰るところだった。6時半にタクシーが来る予定があるらしいのでそれで帰るつもりだと昨日から言っていた。もう車が動きだしていたのできちんとさよならを言えなかったのが心残りだ。

まだあたりが明るくなりはじめたばかりでちょうど日の出だったので、てくてく砂漠を歩いて日の出を見にいくことにした。ちょうど東側に大きな砂丘があって、なかなか太陽が姿をみせない。その砂丘の横の小さな砂丘のあたりに何人か人がいる。気合の入った人が早起きして日の出を見に行っているのだ。そこまでは1キロくらいありそうだったので、そこまで行くことは諦めて1993年の初日の出を待った。

やがて大砂丘の中腹あたりから太陽が顔をだした。1993年1月1日の日の出をこうして砂漠で迎えることができたのだった。

レストハウスに帰ると女の子たちが起きてきて朝食となった。ベルギー人たちはまだ寝ているようだった。

それからラクダに乗ることになった。ゆうべ、台湾出身の陽気な先生から誘われていたのだ。このコンピュータ屋さんの方の台湾人の先生も、また、たいへんなネゴシエーターだった。ゆうべからラクダの話をしていて、けさも朝食が済むとさっそく交渉をはじめた。

その交渉というのがものすごくて、みんなで食後のカフェを飲んでいるところから少し離れた所でベルベル人と二人でごそごそ話しているのだが、ほんとにいつまでもやってる。みんなは「やってるわねー」といった感じでカフェを飲んでお喋りしながら待っている。やがてまとまったらしく、なんと一人一時間30DHという値段だ。ギリシャ人といい、この台湾人といい偉いもんだ。

リッサニで連れていかれたみやげ屋のノートには日本語で「100DHから200DHでラクダに乗れる。それ以上はぼられている」なんて、書いてあったぞ。どうした日本人。でも僕だったらきっと100DHくらいは払っちゃっただろうなあ。

そういうわけで、まもなく6頭のラクダがやってきた。いやあ、かわいいな。「ラクダさん、こんにちは」。イギリスギャルも「ハロー」なんて目を細めてあいさつしている。「さわってもだいじょうぶ?」などと聞いて、首のあたりをなでている。

しかし、このラクダさん、鳴き声はちょっとおっかないのである。けっこうびびってしまう。それに反芻してムニャムニャやっている。どろどろしたものが口から飛び出てけっこう汚いんである。それから、ラクダさんはいつでもどこでもかまわずウンチをする。そういえば、朝、日の出を見に砂丘を歩いたときに小さな俵型のおにぎりみたいなものがころがっているのでなんだろうと思ったのだが、ラクダの糞だった。

ラクダに乗って砂丘を歩いた。陽気な台湾人が歌を歌い、イギリスギャルもなぜかビートルズを歌い、僕も「つぅきのぉーさばぁくをー」なんて歌った。ラクダに乗ったままカメラを交換して写真を取った。いやあ、なんて素敵なニューイヤーズデイ。日、中、英の歌を歌いながらメルズーガの大砂丘のふもとまでラクダに乗ってやってきた。

ここでラクダを降りて砂丘の上をめざした。高さは50メートルくらいだろうか。ものすごく急な斜面で、そう、40度くらいあるだろう。そういえばレストランにスキーがおいてあった。なんだこりゃと最初は思ったが砂丘でスキーをするのだと聞いて納得した。あまりの急斜面なので登るのが大変だ。靴と靴下を脱いで裸足になってみたが、あまりに冷たくて耐えられない。このへんにも雨が降ったらしく、少し湿った感じで海岸の砂のようだ。ふうふう言いながらやっと砂丘の頂上まで登った。イギリスギャルの一人はちょっと太めで、両脇をベルベル人に支えられながらようやく登った。

頂上に立つとあたり一面砂の砂漠だ。といっても、果てし無く続いてるわけではなくて、ずっと遠くの方は平らな岩だらけの荒野になっている。砂の砂漠は60キロくらい続いているという話しだ。しばらく景色を眺めてから、こんどは砂丘を一気に駆け降りた。登るときは斜めに迂回しながら登った40度以上の急斜面を一気に駆け降りるのだ。

先に、ベルベル人たちが飛んでいき、そのあとを僕が続いた。いいんだな、これが。下まで降りると、再びラクダに乗って砂丘をとぼとぼとレストハウスを目指して歩いた。とてもいい天気で静かで「ねえ、とっても、ピースフルねえ。そうでしょ」とイギリスギャルが言っていた。「うん、特別なニューイヤーズデイだね」と言うと「ニューイヤーズデイに私はラクダに乗ってる!」と言った。

さて、レストハウスに戻ると、台湾人の一行が前持って呼んでおいた車が来ている。ほんとにぬかりがないのだ。僕も便乗させてもらうことにしてあったので、12時にその車でいっしょにエルフードまで帰った。しかし、うまいこと行くもんだなあ。我ながら感心、感心。帰りは砂漠からエルフードまで一人50DHだった。ベルギー人たちはまだそこに残るようだった。彼らの旅はゆったりしているのだ。

砂漠を出る時にベルベル人に15ドルをディラハムに変えてくれと頼まれた。「俺たちはなかなか、銀行に行けないから。」人のいい親切な日本人としてはOKしてしまうのだが、「ふむふむ、ドルを買うわけだから、えーと、1ドル120円くらいにしちゃえ......。」 それは安過ぎるとかなんとか言われて、結局、130DHで変えてやった。これも今回の旅の失敗のひとつ。この15ドルが翌日110DHに変わってしまうとは。とほほ。

失敗と言えば、今回の旅ではフランのT/Cを持ってきたことは大失敗だった。パリを経由するのでフランがいいだろうと思ったのだが、パリではほとんどクレジットカードで支払ったので、結局一度もT/Cを両替しなかった。成田で両替した1000フランで足りてしまったのだ。ちなみに、この成田の東京銀行での両替1000フランというのも多過ぎて大失敗だった。

ちなみにレートだが、

  • アメックスのフランのT/C 2000フラン=47000円
  • 成田の東京銀行 1000フラン=26000円
  • ワルザザートの空港 702DH =10000円
  • ティネリールの銀行 650DH =400フラン

さて、エルフードで彼女たちに別れを告げ、ホテルに戻った。砂漠で結構金を使ったので現金がなくなってしまった。砂漠のレストハウスでは部屋が50DH、夕食のタジンが40DH、朝食15DHとカフェ3DHで108DH払った。それからラクダが二時間で60DH、帰りの車のために50DH払った。週末に金が無くなって困るのは僕のくせでよくやるのだこれを。おまけに今日は金曜だけど1月1日だから銀行も休み。

しかたがないので、もう一泊することにした。時間は午後2時すぎで中途半端だったので、どろだらけになったスボンを思い切って洗ってしまった。それから葉書を書いて、やがて、夕方になったのでハンマムに行ってから、飯を食うことにした。ズボンはまだ乾いていなかったので、タイツの上にジャージを履いてでかけた。

ところで、ハンマムの値段は3DHである。最初の時の10DHっていうのはなんだったんだよう。

エルフードという町は客引きがうるさい。「ホテルは要るか」「砂漠へ行くか? ランドローバーを持っているぞ」などなど、しつこいったらありゃしない。この町はあまり好きになれなかった。それにホテルもレストランも高い。観光客に頼るのはいいが、やり過ぎではないだろうか。レストランは例のモロッコ人と結婚した日本人が出入りする所以外はみんな高い。

 
シェビ大砂丘という名前らしい。素晴らしい写真を見つけた。伊藤清忠 景観デザイン・フォトライブラリーというサイトの シェビ大砂丘のページに移っているのが、たぶん、LE TOUAREG。
 
(2006/5/19) ちなみに今のレートを調べてみると、1DH=12.86円。そんなに変わってない
 
AMEXのTCのレートは、1992/12/12で1フラン=23.37円。