南米旅行記 1997年-1998年

南米旅行記 1997年-1998年 tenagamon 2008/04/11(金) - 23:01

1997年の暮れから1998年の初めにかけて、ペルー、チリを旅行した時の記録です。ペルーではマチュピチュに行き、チリでは主にパタゴニア地方に行きました。イースター島にも行きました。イースター島の後は、タヒチ、ハワイを回って帰りました。

航空券

  日付 区間 便名 出発/到着
(A) 12/10 成田-ロスアンゼルス UA890 1600/0835
(B) 12/10 ロスアンゼルス-リマ LA601 1300/0035+1
(C) 12/13 リマ-クスコ PL615 0600/0705
(C) 12/16 クスコ-リマ PL433 1035/1255
(B) 12/18 リマ-サンチアゴ LA601 0125/0645
(D) 12/21 サンチアゴ-プンタアレーナス LA085 1100/1510
(D) 12/28 プンタアレーナス-プエルトモン LA084 1600/1810
(D) 01/02 プエルトモン-サンチアゴ LA084 1825/2000
(B) 01/03 サンチアゴ-イースター島 LA841 0900/1225
(B) 01/08 イースター島-パペーテ LA833 2250/2335
(B) 01/11 パペーテ-ホノルル HA482 0035/0605
(E) 01/11 ホノルル-リフエ AQ033 0710/0745
(E) 01/15 リフエ-ホノルル HA564 2005/2036
(B) 01/15 ホノルル-ロスアンゼルス HA004 2230/0535+1
(A) 01/16 ロスアンゼルス-成田 UA897 1050/1525+1
航空券: (A)(B)(C)(D)はすべて西遊旅行から購入した。
  • (A) UAの格安券
  • (B) LanChile の Circuit Pacific (正規のチケット : US$1645 )
    (A)、(B) 合わせて 263,000円+10,000円(アメリカの税金) アメリカには2回入国するので、5000円*2が加わる。
  • (C) アエロペルーのディスカウントチケット ( US$150 )
    19,000円
  • (D) LanChile の Visit Chile ( US$250 )
    33,000円
  • (E) UA のアワード
    帰りは AQ230 がディレイのため HAに乗れと言われた。

(*) LanChile のオフィスによれば Circuit は旅行代理店を通さなければ売らないとのことである。南米に強い代理店か、あるいはJTB、近ツリでも扱っているそうである。ロスーリマの予約状況を調べるくらいのことはしてくれた。

(*) クスコ-リマはアメリカーナにしようと思ったのだが、アメリカーナの総代理店であるイノウエインターナショナルが日本からなくなってしまった。金城旅行社に聞いてみても、「日本ではアメリカーナは発券できる所がないだろう」とのことである。

(*) LanChile の Visit Chile は、サンチアゴへ入るのにLanChile を使うかどうかで値段が違うようだった。

(*) HA は interisland なフライトしか、WorldPerks には付けられなかった。

 
アエロペルーは財政難で1999年に営業を停止したとのこと。
Aeroperu - Wikipedia
 

ホテル

(US1$ = 420?440ペソ)(XPF1 = 1.2円)
日付 場所 ホテル 値段
12/10-11 リマ シェラトン US$85++ (UAの半額券使用)
12/12 リマ Hotel SanMartin US$30 朝食付き
12/13-15 クスコ Hostel Singapur US$18
12/16 リマ El Patio US$32 朝食付き
12/18-20 サンチアゴ Hotel Tokyo US$35 朝食付き
12/21-24 プエルトナタレス Hotel Natalino 12000ペソ 朝食付き
12/25-27 プンタアレーナス Hotel Montecarlo 7900ペソ
12/28-30 プエルトモン Hotel Colina US$41 朝食付き
12/31 アンクー 民宿(名前忘れた) 4000ペソ 朝食付き
1/1 プエルトモン 民宿(名前忘れた) 4000ペソ 朝食付き
1/2 サンチアゴ Hotel Tokyo US$35 朝食付き
1/3-7 イースター島 Chez Cecilia US$25 朝食付き
1/8-9 パペーテ KonTiki Pacific XPF8640
1/11-14 カウアイ島 Aston Kauai Beach Villa 5000円
(*) リマ・シェラトン、KonTiki Pacific、Kauai Beach Villa は日本で予約。あとは、全部現地で決める。
 

レンタカー

ツアー

出発地 内容 値段
クスコ ピサックの日曜市とオリャンタイタンボ 昼食つき、ガイドつき、1day US$25
クスコ マチュピチュ 昼食なし、ガイドなし、1day US$85
プエルトナタレス パイネ国立公園 公園入園料なし、昼食なし、1day 12000ペソ
プエルトナタレス セラーノ氷河 昼食なし、1day 20000ペソ
プンタアレーナス Isla Magdalena ペンギンコロニー 15:00?20:00 US$30
プエルトモン Los Todos Santos (オソルノ山など美しい山々と湖の遊覧船) 昼食つき、1day 21800ペソ

見てきたもの

全体的な感想

  • ひさしぶりに、旅をしているぞという実感がわいた。充実していた。
  • マチュピチュとイースター島が強烈な印象を残した。マチュピチュは実際にいってみないとあの場所がいかにとんでもない所であるのかわからない。イースター島のモアイはいつまで眺めていても飽きない。Spilitual な感覚も湧いてくる。南米からもタヒチからも遠くて、孤立感を感じる。見渡す限り海ばかり。
  • チリはいい国だ。もっと人気があってもよさそうなものだが、やはり遠いか。
  • たくさんの旅行者と話ができた。仕事をやめて長期の旅行をしている夫婦もいた。アメリカ人は我々にとっての東南アジアの感覚で南米にやってくるようだ。欧米人は30代、40代くらいの人が夫婦で旅行しているが、日本人は若者か年寄りが多い。
  • スペイン語圏は苦労も多いが楽しい。彼らはかまわずスペイン語で話かけてくる。こちらが彼らの言うことをわからなくても、それでも話続ける。そのうちなんとなくわかってしまうから不思議。でも、スペイン語が話せるようになりたくなった。
 
Rapanui(イースター島)についてはこのページが面白い
Rapanui Language
 

おみやげ

木彫りのモアイ像

木彫りのモアイ像

木彫りのモアイカヴァカヴァ

木彫りのモアイカヴァカヴァ

 

南米旅行記 1997年-1998年(ペルー編)

南米旅行記 1997年-1998年(ペルー編) post_monchan 2008/04/11(金) - 23:14

1997年の南米旅行記、ペルー編です。なんといってもマチュピチュへ行くことがメインでした。リマでは博物館をみて、クスコでは周辺の遺跡、そしてマチュピチュを見学しました。

遺跡
ペルー

深夜のリマに到着 - 12月10日(水)

深夜のリマに到着 - 12月10日(水) post_monchan 2012/10/15(月) - 15:39
Lima by Ik T

Lima by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

深夜のリマのホルへ・チャベス空港に降り立った時の第一印象は、東南アジアに似ている、というものだった。もわっとした空気が体にまとわりついてくる感じである。もうちょっとよく考えると、やっぱりちょっと違うかな、という気がしてきた。ココナツミルクの香りがしないってことかもしれない。(いったい、どこと比較しているんだろう)

リマといえば、そりゃーもー危ない所だ、という気持ちでいたので、相当に緊張していた。旅の始めでもあり、まだ勘が身についていないのでなおさらである。「歩き方」には、空港を一歩出るとタクシーの客引きがわっとよってきて荷物を強引に持っていく、なんて書いてあるものだから結構身構えていたのだが、いちおう空港の建物の中は安全なようであった。

気持ちを落ちつけて、Airport Taxi のカウンタを確認した。それから、両替所を探す。ちと、わかりにくい所にあり、係員に聞いてやっと発見した。

レート: 1$ = s/.2.68 (s/. はペルーの通貨 ソルの記号)

うろうろしていると、横の入口の所から盛んに「ミスター!」という声がかかり、手招きされるが、無視して Airport Taxi のカウンタへ。Airport Taxi は高いのだけれど、ここは安全をとって US$18 払う。

まっ暗な中をひた走り、シェラトンホテルへ無事到着。807号室。長い一日目が終った。

Wikipediaってこんなエントリまであるのね。
Jorge Chavez International Airport
ペルー

リマの旧市街をあるく - 12月11日(木)

リマの旧市街をあるく - 12月11日(木) post_monchan 2012/10/15(月) - 15:51
Monastery of San Francisco, Lima by Ik T

Monastery of San Francisco, Lima by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

ゆっくり起きて、昼過ぎまでは休むことにする。その間に、ランチリとアエロペルーにリコンファームの電話をかける。スペイン語の電話応答は「アロー」だが、アエロペルーの方は、こちらが "Do you speak English?"と言った途端に、どこかの英語担当のオペレータに転送されたようだった。ランチリの方は、"Do you speak English, more or less ?" などと変なことを聞いてきて、YESというと、「それでは、ゆっくりとしゃべってください」なんて言ってきた。そういうわけで、お互いにへたな英語でなかなか楽しく会話ができた。

次に、クスコからマチュピチュへのツアーを手配しようと思って、クスコへ電話をかけた。グランツールジャパンのクスコオフィスで、「歩き方」によればペンション花田のご主人が経営しているらしい。ペンション花田は、要するに日本人経営の日本人の溜り場宿で、「歩き方」や「バックパッカーパラダイス」に登場する。

電話をすると、日本人の男性が、もちろん最初はスペイン語で出て、こちらが「日本語のわかる方を」というと「はい、はい、どうぞ」と日本語で応えてくれた。あとでわかるのだが、彼が花田氏であった。マチュピチュへのツアーの話をすると、「手配っていってもねえ、予約は10日前までしか入んないし。直接来て貰った方が早いですよ」というので、名前と13日の土曜日の朝に伺う旨を伝えた。マチュピチュへ行きたいのは15日(月)だったので、2日前で大丈夫かいな、帰りの飛行機決まっちゃってるしな、と思ったのだが、実際にはなんの問題もなかったようだ。

クスコはこの時期、雨が多く、観光に適しているのは4月から10月だ。が、こちらは夏なので、12月~1月はやはり混むらしい。北半球の夏休みである7月、8月もやはり混む。どちらが混むのかはよくわからん。

Lima by Ik T

Lima by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

シェラトンから街を観察

用事が済んだので、街へ出てみることにする。窓から下を覗くと、異国の景色が広がっていた。旅の最初でもあり、端的に言えば「あぁ、違う場所に来たな」という感じだ。旅の始めに、訪問地に降り立ったときにいつも感じるあの感じ。心地よい緊張感に包まれて好奇心でいっぱいのあの感じである。ホテルの前はかなり広い大通りで、たくさんの車と人が行き来している。リマのダウンタウンと言えば、それはそれは恐い所だという思いがあるので、人々の様子を観察する。デイバッグを前にしているというのは本当だろうか。ひったくりはそんなに多いの? 観光客らしき人は皆無だった。デイバッグの若者は片方の肩にかけて後ろに背負っている。手下げのバッグをぶら下げている人もいる。要するに、これは、そう、普通だ。そう結論して、ま、とにかく街を歩きに行こう。

途中で見なくても済むように地図を頭に入れて歩き出す。まず感じたのが、そこらじゅうに警官がいる、ということ。ペルーには観光ポリスなるものがあるということだが、その緑色の制服もすぐにわかった。頼もしい、というかやっぱり物騒なんだーというか。

サンマルティン広場からウニオン通りを抜けて、アルマス広場へ。ウニオン通りではなにやらデモ隊のようなグループが警察だか何だかと睨みあっている。「うひゃー、こえー」と思いながらアルマス広場まで行くと市役所の前に大勢の人間が集まりなにやら大騒ぎ。これは、アンデスの村の首長? たちが集まって、「リマ市ばっかり金をもらって豊かなのは許せーん」と言っているんだそうだ。と、これはカテドラルの日本語ガイド、アントニオ君がたどたどしい日本語で教えてくれた。

Cathedral of Lima by Ik T

Cathedral of Lima by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

カテドラルの壁画。左がピサロ

騒ぎを横目で見ながらとりあえずカテドラルへ。入場料は、S/.0.4 と安いのだが、「ガイドいりますか?」の一言に「うん」と言ってしまったおかげで、S/.20のガイド料をとられてしまった。が、しばらくして現れた日本語ガイドのアントニオ君は丁寧にあれこれ説明してくれた。このカテドラルにはフランシスコ・ピサロの棺と遺体がある。ピサロはスペインからやってきた征服者である。アントニオ君によれば、その後、スペイン人と先住民が交じりあって、いまでは純粋なスペイン人はほとんどいないんだそうだ。

で、やっぱり人種間に差別があって、白人が一番上だということだ。「今の大司教さまも白人です」すっかり忘れていたのだが、「シプリアーニ。知ってるでしょう」と言われてはっと気づいた。「ああ、あの人が、ここの...そーか、そーか」もしもここに来るのがあの事件の前だったら、あの事件への関心や見方も変わっていたかもしれない。

中央郵便局へ行って切手を10枚かった。それぞれ絵柄の異なる鳥の切手だった。10枚でS/.33。ついで、中央郵便局の前の通りでハガキを買った。この通りには、カードや封筒やハガキを売る屋台がずらーっと並んでいてなかなか便利である。

いざ、ハガキを買う段になって、スペイン語がまったく話せないことを思い出した。10枚選んで差し出すと、S/.10 だという。うむ、これはちと高いんではないか。しまった。数字が言えないと値段の交渉ができない。数字を覚えないといけない。

1997年のリマはかなり治安が悪く、日本のニュースでも通行人がいきなり集団に襲われるところなどを映し出していた。日本大使公邸占領事件は1997年1月のことだった。

ペルー

リマからクスコへ移動 - 12月13日(土)

リマからクスコへ移動 - 12月13日(土) post_monchan 2012/10/15(月) - 16:05
Cusco by Ik T

Cusco by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

朝6時の飛行機なので4時半に宿を出る。空港までのタクシーの値段を聞くとS/.15からS/.20だという。「20以上払っちゃ駄目だ。ベインテ、ベインテって言うんだ」と親切なのだが、次には「俺の友達がS/.20で連れていくよ。どうだい」なんて言ってくる。これもまたよくある話だ。

空港で客引きにつかまった。出かけるのに客引き?って思うかもしれないが、これがクスコの宿の斡旋なのだった。「空港からホテルまでUS$2で送る。ホテルは見てから決めてもらっていい」なんていうので、つかまってみることにした。すると携帯電話でクスコと連絡をとっている。ちょっとびっくり。

クスコは標高が3400m程あり、海沿いの街であるリマから飛ぶと高山病に悩まされる。案の定、初日は頭が痛かった。が、歩けない程ではなく広場近くの遺跡などを一通りみて回った。市内の遺跡や周辺の遺跡を見るために、それらの入場料がセットになった Boltes なるものを US$10で買うのだが、三日間の滞在ではオトクなのかどうかよくわからなかった。コリカンチャという遺跡もチケットに含まれているはずなのだが、なぜか、「駄目だよん」と言われS/.2取られた。翌日の周辺の遺跡ツアーでも結局オリャイタイタンボだけにした行かなかったので、ほとんど使ってないって気がする。

Hostal Singapur - Cusco by Ik T

Hostal Singapur - Cusco by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

クスコの宿

ホテルはできたばかりのようで新しく、プライベートホットシャワー付、暖房は無しで US$18 だった。ホテルの人間は英語を話さない。翌日の遺跡ツアー(US$25)も頼んで、代金はすべて旅行会社? の人間に支払った。実は、3泊してチェックアウトするときにホテルの人間に「US$51払ってちょ」と言われて「ん? 初日に連れてきた人に払ったもんね」という会話があった。US$51 ? ということは、一泊US$17ですね。US$1のコミッションを上乗せされたわけか。マチュピチュツアーも誘われたが、もう日本人の旅行会社に頼んであるからといって断った。

で、その日本人の旅行会社を尋ねることにした。応対してくれた花田氏は伊武雅刀に似たナイスガイであった。マチュピチュへのツアー、というか往復の切符を頼んだ。ガイドなしでUS$85。ガイドつきなら US$95である。ただし、英語かスペイン語。

周辺遺跡ツアーの話もして、US$25で頼んだといったら「そりゃ、高いなあ」と言われてしまった。ぎくっ。花田氏のグランツールジャパンだと、S/.30 だそうだ。が、花田氏も「うーん、でも、まあ、.....うん、まあ、別に、そんなに....」とかなんとか慰めてんだかなんだかよくわからない反応だった。バスの質、ガイドの質、昼食の質、などなどいろいろ違いがあるだろうからいちがいには言えない。

花田氏のところで、どこが危ないとか、食物はどこで買うとか、いろいろ教えて貰った。広場の周辺は安全であり、駅周辺は危ないのでタクシーを使えということだった。「クスコって危ないんですよね」と聞いたが「そりゃ変なとこいくからだよ」という答だった。駅へ歩いて行く人もやっぱりいるんだそうだ。

チケットはこれから従業員に買いに行かせるとのことで、夜また受け取りに来ることになった。買いに行く場所も一か所ではなく何箇所か回るそうだ。頭が痛いというと、寒さは高山病に良くないので、マチュピチュはとても暑いが早朝と夜は寒いので着るものに注意とのこと。また、血行が良過ぎるのも良くないので、暑いシャワーはやめることだそうだ。そうそう、「アエロペルーは絶対リコンファームしてね。あそこは平気で落すからね」というのも貴重なアドバイスであった。

The Twelve Angled Stone by Ik T

The Twelve Angled Stone by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

12角の石
llama and girls with ethnic cloths at Cusco by Ik T

llama and girls with ethnic cloths at Cusco by Ik T uploaded on 15 Mar 2009

民族衣装の女性

クスコ初日は、12角の石を見に行き、リャマを連れ民族衣装を纏った女性の写真をとり(彼女らはモデル料を前提にポーズをとる)、カテドラル、コリカンチャ、ロレト通りなどを見て過ごした。ちょっと歩くと頭が痛くなるので、広場に面したカフェでかなりの時間、ぼーっとしていた。

お昼は EL TRONQUITO というレストランでとった。とてもおいしかった。メモによると、ceviche de pescado (魚のセビチェ:セビチェはマリネのこと)、sopa de casa(スープ)、asado y pure y arroz o escabeche de pollo (ローストとマッシュポテトとマリネチキン???)と書いてあるので、まあ、そんな感じ。

明日は周辺の遺跡ツアーにでかける。

民芸品店 Pedazoで配布しているクスコの地図をニシカワツアーズという旅行会社がWEBで提供している。
ペダソ 日本語マップ
ペルー

クスコ周辺の遺跡ツアー - 12月14日(日)

クスコ周辺の遺跡ツアー - 12月14日(日) post_monchan 2012/10/15(月) - 16:13
Písac by Ik T

Písac by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

実の所、周辺の遺跡ツアーといっても正確にはどことどこへ連れていってくれるのかわからないままだった。わざわざ日曜日に出かけるのだから、ピサックの日曜市に行くのは確かだった。それと、昼食がついていることとオリャンタイタンボにも行くらしい。サクサイマワン、プカプカラ、タンボマチャイそれとチンチェーロにも行くと言っていたのだが、終ってみればそれらは通り過ぎただけだった。まいっか。......などと言っていていいんだろうか。

*上記のわけのわからないカタカナは遺跡の名前です。遺跡に興味があればクスコに長期滞在して丹念にみたほうがよいでしょう。ツアーと行っても一日で全部回るのには無理があります。私は限られた時間でハイライトだけという旅だったので、「まいっか」と思いましたが。

いくつかの遺跡を横目で見ながらバスはピサックという名の村へ向かっていた。ここで毎週日曜日に市が開かれ近隣の村々から人々が集まってくる。が、例によって観光客が好んでやってくることがわかると、観光客向けの店が増え、いまでは半分近くの店で土産ものを売るさまになっていた。

Písac by Ik T

Písac by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

パン屋の印

バスはピサックに入る前にちょっとした土産もの屋が集まる場所に止まった。ピサックの市も観光化されているというし、ガイドはピサックで買うより安いというし、どっちみちおみやげは買うのでいろいろ見せて貰った。アルパカのセーターが欲しかったのだが品質の見究めに不安があったので、それはクスコのペダゾというプカラのオーナーが経営する店で上等なもの(US$56)を買ってしまった。他に私が欲しいような安くて小さくて素敵なものはなかったので、結局毛糸の帽子を一つ買っただけだった。

ピサックに到着するとガイドの案内で村を歩いた。家の入口の所に長い棒が斜めに突き出ていてその先にバスケットがぶら下がっていると、それはパン屋の印だという。「なぜバスケットだとパン屋なのか」と聞いたが、「だってパンはバスケットの中にいれるだろう」というあっさりとした答だった。パン屋の門を入ると中庭があり門と反対側にはでかい釜があった。案の定、観光客向けに、中にチーズの入った小さなパンをS/.1で売っていた。たぶん高いんだろうが、でもおいしかった。

棒の先にバスケットではなく様々な色の布切れをくしゃくしゃっと丸く束ねてつけている家がある。よくみると通りに何件もある。これはトウモロコシから作るお酒を作っているという印だそうだ。フーチとかムーンシャインとか言っていた。匂いをかがせて貰ったが、パンを焼く時のイーストが発酵する匂いがした。

*後で調べてみると、hootch も moonshine も英語で密造酒の意味

Písac by Ik T

Písac by Ik T uploaded on 21 Mar 2009

ピサックの日曜市

時間になったらパン屋に集合、ということになりピサックの市は自由見学である。それもそのはず、観光化されたといっても元々の市の機能がなくなったわけではないから、大勢の地元の人々が集まってきておりそれに観光客も加わって結構な賑わいなのだ。賑わいの様子を数枚写真に撮ってほんの少しばかり歩くと頭が痛くなり、おまけに強烈な日差しで暑くてたまらないので、さっさとカフェらしき所で「マテ茶の時間」になってしまった。まだ、高山病が残っている感じだ。マテ茶はご存知コカの葉っぱのお茶で高山病に効くというので、きのうからしょっちゅう飲んでいる。地元民は砂糖を入れて飲むが砂糖は無しがよろしい。ハーブティーのようなものでこちらで飲むとうまいがたぶん日本で飲むとまずいのだろう。

だらだらとお茶を飲みながら、「うーむこれではいかん、観光客らしくおみやげを買わねば」と思い直し、重い腰をあげることにした。セーター、楽器、かばんなどの他になかなかそそる柄の織物も売っていて、欲しーなーとも思ったのだが、この先一カ月持ち歩くことを思い浮かべてやめにした。最近は旅行に金が掛かり過ぎだという反省もちょっとあった。んで、結局は地元の女性が荷物を背負うのに使う色鮮やかな風呂敷みたいな布を買うことにした。

昼食はまさにツアー客専用のレストランにいくつものツアーバスが集まって食べることとなった。よくわからないが、同じバスの観光客二人は名前を呼ばれて別のホテルの前で降ろされた。おそらく彼らのツアー料金はちょっと高いのかもしれない。レストランは広い庭にしつらえられたオープンエアーの洒落たつくりで、このギャップはなんだあ、とも思ったが、ともかく気持ちのいい場所だった。

レストランで子供連れの日本人家族と会った。サンチアゴ在住だそうで、ラパスから来たそうだ。ラパスでは高山病に悩まされたそうで、「こっちに来たら楽になったわ」なんて言ってる。「ああ、そーですか、そりゃよかったですね。いやーこっちは頭が痛いってーのになー」とは口に出しては言わなかった。

次にサンチアゴに行くと言うと、「サンチアゴなんて何にもないんですよー。来た人はパリみたいできれいだ、なんて言いますけどねぇ。プンタアレーナス行くんですか? なら、あっちの方がずっときれいでいいと思いますよ」とのこと。「そっかーパリみたいなのかー」とサンチアゴを知らない純真な旅人に新たなイメージが擦り込まれた。が、サンチアゴにはあんまり興味はなかったので、ほんとはどーでもいいのだった。

どっかで時間を潰し過ぎたのか、それとももともとの予定なのか、遅い昼食の後、今日のもう一つのハイライトであるオリャンタイタンボ遺跡を見学して、あとは、とっととクスコに帰るだけだった。


ペルー

いよいよマチュピチュへ - 12月15日(月)

いよいよマチュピチュへ - 12月15日(月) post_monchan 2012/10/15(月) - 16:18
Machu Pichu by Ik T

Machu Pichu by Ik T uploaded on 29 Mar 2009


今日はいよいよマチュピチュだ。ガイドなしツアーといっても手元にはいくつかのチケットがあるだけなので自分で行って帰ってくるツアー?だ。駅まで送迎があるわけでもなし。

朝6時のアウトバゴン(autovagon)(ディーゼルカー?)に乗るために、5時に起きてタクシーを拾う。花田氏曰く「5時でもタクシーはばんばん走ってますから大丈夫ですよ」とのことだが、ばんばん走ってるという程ではないにしろ割と簡単に捕まえることができた。

なにしろ駅まではほんの数ブロックなのであっという間だ。が、雰囲気もがらりと変わり、ただならぬ様子。花田氏によれば「駅には門があってガードがついていて、チケットを見せれば中に入れてくれるから」とのことで、とにかく恐ろしいところだと思っていたので、ダッシュで駅へ入る。......入ろうと思ったんだけど、なぜか人の列が門の外にはみでている。げげ、まさかこの危険な駅の外に観光客づらしてぼそっとたたずんで居なきゃいけないんだろうかと、一瞬思ったがそんなのはいやなので無理矢理中に入る。見ると列は切符を買う人の列だった。ほっ。

時間はまだ30分以上前で、列車の中に入ることもできなかった。

train to Machu Pichu by Ik T

train to Machu Pichu by Ik T uploaded on 29 Mar 2009

アウトバゴン
Cusco early in the morning by Ik T

Cusco early in the morning by Ik T uploaded on 29 Mar 2009

早朝のクスコ

6時に列車は出発した。驚くほど空いていて半分くらいしか乗っていなかった。なにこれ。

マチュピチュの海抜は2200mくらい。クスコは3400m近いから行きは下っていくことになる。ところが、クスコの町というのはすり鉢状の地形の底にあり、そこから出ていくためにはすり鉢の淵まではいったん急な坂を登らなければならない。そこをアウトバゴンはスイッチバックしながらえっちらおっちら登っていく。だんだん高くなるに連れて、早朝の霞がかったクスコの町の幻想的な全景が現れた。ちなみにこの時期だと、行きはすでに夜が明けており帰りは着くまで日が暮れない。

すり鉢の縁まで登るとそこからはどんどん下っていく。帰りに登るためなのかつづらおりになっていて列車のくせにヘアピンカーブがあったりする。そうこうしているうちに高原地帯に入りそのあたりはなだらかでまっすぐな線路をぐんぐん走る。オリャイタイタンボの駅から先は、峡谷地帯になり川沿いに走る。触れそうなくらい近くに岸壁があり、このあたりは黒部峡谷のトロッコ列車に似ているかもしれない。というふうにどんどん景色が変わるので退屈せずに3時間20分を過ごすことができた。

各車両には、どう見ても容姿で選ばれているとしか思えないおねーさんが二人いて、乗客にサンドイッチと飲みものをサービスする。また、マチュピチュ紹介ビデオがずっと流れていて、もちろん現物を持って売りに来る。日本語版もある。

マチュピチュのふもとの駅に着くと小型のバスが待っておりそれに乗り換えてマチュピチュの入口まで一気に登る。マチュピチュの入口の所にはホテルがあり、たいていの人はそこのカフェテリアで高い昼食をとることになっている。この場所からはまだマチュピチュは影も形も見えないというところがミソで、わくわくと期待に胸をふくらませて、はやる心を押えつつ、ちょっと一休みして、「ほうほうあそこが駅か、ちっちぇー」なんて言いながら周りの景色なぞを眺めたりする。「さて、そろそろ行くか」なんていってマチュピチュ入口のゲートをくぐった。

Machu Pichu by Ik T

Machu Pichu by Ik T uploaded on 29 Mar 2009

マチュピチュ

おおっ、マチュピチュだぁー。海抜もハイなら気持ちもハイになってしまって、ワクワク状態である。どういうわけだか、あの景色はもう、「感動ぉぅぅぅぅぅぅぅぅっ」(;_;) なのである。鮮やかな緑が強烈な日の光の中で映えている。写真なんかよりずっとはっきりくっきり目に迫ってきて、ああ、来て良かったという思いでいっぱいだ。

来てみなければわからないことというのもあって、マチュピチュがあんなとんでもない所にあるとは思わなかった。ほんとに山奥も山奥であたりにはなーんにもなくて、ただただ険しい山々が連なっているだけ。なんでこんなとこにこんなものがあるのって感じ。

マチュピチュはとても静かなところで、今は風も無く、しーんと静まり返っている。岩に腰かけて全景をぼーっと見つめれば心も静まり、時間を越えてインカの時代にタイムスリップし、さまざまな思いをめぐらすことができる。あるアメリカ人がスピリチュアルな感じがするなんて言っていたが、人によっては何かを感じてイッちゃうのかもしれない。私は凡人なのでそういう神秘体験をするはずもなく、ガイドブック片手にへぇーとか言って感心するくらいなものなのだけれど。

やはり何か感じちゃうんだろうか。フルートを吹いているみすぼらしい旅行者がいた。それもかなり上手なようで、即興でピロピロやるのだがあたりにとてもよく響いて、なんだか気持ち良さそうだった。マチュピチュに限らず遺跡でなにか楽器を鳴らすというのは気持ちがいいかもしれない。

ところで、マチュピチュという所は、結構危険なところでもある。急な斜面に作られた都市の遺跡だから、一歩足を踏み外すと20mくらい下へ転落なんていうところがここそこにあり、へたにトリップしちゃったりすると危なっくてしょうがない所なのだ。案の定、単なる不注意なのかしらないが、タンカで運ばれた人がいた。左足を固定していたが折れちゃったのだろうか。

帰りのアウトバゴンは3時発なので2時には駅へ降りるバスへ乗るようにとのこと。1時ころマチュピチュを後にして、入口のホテルの所でお昼にする。といってもカフェテリアを横目に、倹約旅行者らしく自前のお昼だ。適当なおかずが見つからなかったので、缶詰のソーセージとパンとジャムとジュースだけ。

一日ツアーだと見学の時間が少ないという意見もあるようだが、そんなことはないと思った。ちなみにワイナピチュへは道が閉鎖されていて登れなかった。

帰りのバスでは、お約束のグッバイボーイが登場。カーブごとに現れて「ぐっば?い」と叫ぶ。そしてバスより早く次のカーブに駆け降りてまた「ぐっばーい」とやるわけ。そして最後はなぜかバスに乗り込んできて「ぐっば?い」。と、これには観光客たちも苦笑い。チップをやるしかないではないか。そんなことガイドブックには書いてなかったぞ。どういうわけか私はパスされたのでそのすきにさささっとバスを降りる。

帰りのアウトバゴンはひたすらクスコへ向かってひたはしる。観光客もぐったりとして寝ている人が多い。私の向かい側には二人組の白人女性が座った。どこの言葉だかわからない言葉を喋っていた。ヨーロッパのどこかなのだろう。とにかくいろいろな国からいろいろな旅人が来ているようだった。

クスコに到着するとほとんどの観光客には車のお迎えが来ているようだった。ツアーもいろいろあるのだ。お迎えの来ていない私は自力で帰らなければならなかった。とりあえず駅の外に出なければならない。タクシーがいますように。外には数台のタクシーが並んでいて簡単にゲットすることができた。

ところが、駅の前の道はかなり混んでいてちっとも動かない。おかげで危険といわれる地域を車の中から観察することができた。あたり一帯はただならぬ雰囲気でどう考えても旅行者は場違いである。思うに明るさが欠けているのだ。 笑い声がしない。

やっとのことで渋滞を抜け出し、アルマス広場にたどり着くことができた。ちょうど日が暮れようとする頃で、まだ夕食には早い時間だった。

クスコからマチュピチュへの列車は観光向けにかなり整備されて値段もぐんと上がったようだ。

Cusco (Poroy) - Machu Picchu (Vistadome)

私が乗った列車は上記だが、往復 $142 にもなっている。他に交通手段が無いしね。これにマチュピチュの入場料がプラスされるので、1997年当時の $85 というのは今から見ると安かったなあ。

ペルー

クスコからリマへ戻る - 12月16日(火)

クスコからリマへ戻る - 12月16日(火) post_monchan 2012/10/15(月) - 16:28
Hotel El Patio by Ik T

Hotel El Patio by Ik T uploaded on 30 Apr 2009

Rさんへの手紙:

Rさま、南米&タヒチ&ハワイの旅、39日間、お一人様 325000円(エアーのみ)に来ております。ここはクスコです。クスコというところは意外にあか抜けた街で、アルマス広場の周りにはおしゃれなカフェやレストランが並んでいます。バックパッカーパラダイスに出てくる`プカラ`は予想に反しておしゃれでハイセンスなレストランでした。(私は単なる日本人のたまり場だと思ってた。)   そういうわけでクスコはとってもインターナショナルな世界でも有数の観光地のようです。   昨日はマチュピチュへ行って来ました。日差しが強く、緑の段々畑がくっきりと目に鮮やかに入ってきます。写真で見るより vivid な感じです。周りの山々の険しさを見ると、よくもまあこんなところに。。といった気がします。発見した人もエライと思います。クスコも聞いていたほど危険ではなく、広場付近は安全です。駅周辺は危ないフンイキで、広場と駅は歩いて5-6分ですがTAXIを使いました。 12/15 クスコ

* * * * * *

いやぁーやっちまいました。何がってね、クスコからの飛行機が無事リマに着いたと思いなさいよ、え。2回目だもんだから、もう手慣れたもんでね。早速寄ってきたホテルの斡旋を完全に無視してさ、逆に「銀行どこ?」なんて聞く余裕もあったんだけどさ。で、両替してホテルはいらねえよって言ってね。いや、この手の連中に連れてかれるホテルにはクスコで懲りたんでね。ちっともよくないって決めつけてたからさ。だもんで、さっさとタクシー捕まえてミラフローレスの見当つけといたホテルに向かったわけ。もちろん、値段も聞いたさ。ベインテ。20だって。で、てっきり20ソルだと思ってさ。

いい天気で海沿いを走っていい気持ちだなーなんて思いながらホテルの前に着いたらさぁ、え、なんと、20ドルだなんていいやがってさ。がーん、しまったぁーってなもんさ。いや、別に法外な値段ってわけじゃなくてさ、エアポートタクシーの正規の値段だっていうんだ。そりゃ、最初に着いた時も18ドルだったしさ。で、しょーがないから20ドル払っちゃった。要するに、ペルーみたいなところではお金の単位もちゃんと確認しなきゃだめだってことさね。

さもないと、あんた、ドルかソルかの大ばくちをすることになりましょう。

おあとがよろしいようで。......

* * * * * *

別にこんなことが書きたくてやったわけじゃないんだが、くそー、損した。おまけにこの運転手、落ち込んだところに追い討ちをかけるようなことをしやがった。

着いたホテル El Patio は表通りに面した門がロックされていて入れないようになっている。運転手はインターフォンで何ごとかをスペイン語で話すと、こちらに向かって、「残念だね、ここは一杯だ。俺がホテルを紹介するよ」などとぬかしおった。「あにぃー、信じられるか、そんなもん」と思っている間もなくロックを解除してくれたので、さっさと中に入ることができた。

もちろん、部屋はあった。

この運転手、空港から街までの間も、「ホテルはいらないか、El Patio は高いぞ、安いホテルを知ってるぞ」とうるさいったらありゃしないのだ。

Hotel El Patio by Ik T

Hotel El Patio by Ik T uploaded on 30 Apr 2009

ホテル El Patio

El Patio は シングル一泊 US$35 ( US$33におまけ )。静かで、きれいで、日当たりのいいテラスがあり、大変気に入った。廊下や床が木でできているところがよい。本棚があり、日本語の本が何冊か置いてあった。

もう、今日は何もしないことに決め、読書しながらごろごろしていた。

ペルー

リマはミラフローレスでごろごろ休息 - 12月17日(水)

リマはミラフローレスでごろごろ休息 - 12月17日(水) post_monchan 2012/10/15(月) - 16:32
Hotel El Patio by Ik T

Hotel El Patio by Ik T uploaded on 30 Apr 2009

宿はミラフローレスにある、いかにもドイツ人あたりが好きそうなこぎれいな中級宿である。一泊 US$35をUS$33におまけ。夜まで部屋を使いたいと言ったら半分のUS$16出せときた。廊下に本棚があり、何年も前の日本語の本があった。

別の宿でも見つけたのだが、どうしてこーゆー所に置いてある本って、くっだらない二流の書き下ろし推理小説なんだろう。もうちょっとましな本を置いてってくれぇといいたいぞ。

ミラフローレスには学生が歩いている。それがどうしたと思うかもしれないが、これは大変な違いなのである。ダウンタウンには学生なんて居なかったもの。それなりにいろいろおしゃれをしていて、まるでヨーロッパみたいだ。

ついでに、ミラフローレスには白人が歩いている。それがどうしたと思うかもしれないが、そう、ダウンタウンで白人といえば観光客くらいなものだった。ミラフローレスに来ると、ペルーにもいろいろな人種が居る、と感じられる。

ミラフローレスには、マックとケンチキとダンキンドーナツがある。カフェもあれば、レストランもある。レストランくらいどこにだってあるのだが、こっちのはいかにもリゾートっぽいこぎれいなやつが多い。

というわけで、こういう街ではぼーっとしている以外に特にすることがない。

で、きょうはこれで終りだ。

ペルー

ペルーの紋章

ペルーの紋章 post_monchan 2009/03/21(土) - 17:55

昔、ペルーに行ったとき、カテドラルのガイドにペルーの紋章について教わった。カテドラルの中の壁画の上の方に描かれていた紋章を見ながら説明してもらったのだ。

Cathedral of Lima by Ik T

Cathedral of Lima by Ik T uploaded on 21 Mar 2009


ペルーの紋章
ペルーの国旗

ペルーの紋章は、ペルーの国旗の真ん中に描かれている。

左上の動物はビクーニャだそうだ。右上の木はキナの木と言って、キニーネの材料になる木だ。下にあるのは、コルヌーコピアイと言う豊かさを表す角の中にコインが入っている。いずれもペルーの豊かさを表している。

周りを取り囲むのは、左がローレル、右がオリーブの葉だ。

ペルー

アルパカのセーター

アルパカのセーター post_monchan 2009/02/08(日) - 20:51

最近、アルパカがブームなようだ。それで思い出したのだが、確か、昔、クスコで買ったセーターがアルパカだった。

タグを見てみるともうぼろぼろだ。壊れてしまわないうちに写真に撮っておくことにした。

ペルーのページに書いたが、クスコのPEDAZOという店で買った物だ。US$56だった。

tag by Ik T

tag by Ik T uploaded on 08 Feb 2009

Alpaca Sweater by Ik T

Alpaca Sweater by Ik T uploaded on 07 Mar 2009

 
買い物

南米旅行記 1997年-1998年(チリ編)

南米旅行記 1997年-1998年(チリ編) tenagamon 2008/04/11(金) - 23:28

1997年の南米旅行記、チリ編です。パタゴニアで氷河とペンギンを見ることが目的でした。サンチアゴに入り、それからパタゴニアへ向かいました。帰りにはプエルトモンにより、オソルノ山やチロエ島を見に行きました。

チリ

サンチアゴに到着。Hotel Tokyoへ行く。

サンチアゴに到着。Hotel Tokyoへ行く。 post_monchan 2009/06/21(日) - 11:11

1997年12月18日(木)

夜行便でサンチアゴに着いた。やけに速い展開だと思うかもしれないが、別に手を抜いているわけではないぞ。

昨日の宿には、歩き方のペルー編と、トムクランシーの「合衆国崩壊」の1巻を置いてきた。ちなみに2巻はプンタアレーナスのホテルモンテカルロに置いてきた。

早朝のアルトゥーロ・メリノ・ベニテス空港に降りたったときの第一印象は、寒い!ということだった。なんでこんなに寒いの? エルニーニョか?

空港で Hotel Tokyoに電話をかける。このホテルは歩き方に Hotel Japon という名前で載っている。ご主人が日本人で、チリ人の奥様も日本語が上手だということだ。奥様が出て、無事日本語で予約ができたので、早速市内に向かう。

表へでると、Tour Express のバスが止まっていたので乗り込む。チケットはきっとどこかで売っていたのだろうが、まあ、中でも買えるだろう。係員にホテルの住所を見せて、ここへ行きたいと伝える。

うるさいやつはまとわりついて来ないし、エアポートバスはあるし、ペルーとはえらい違いだ。チリという国は、街はきれいだし、交通機関は発達しているし、治安はいいし、ものごとはきちんとしているし、旅行はしやすい国である。が、アジア的な喧騒はないし、いんちき野郎もいないし、その点がもの足りない人もいるかもしれない。思うに、あの国は、人々の生活に触れるというより、自然を見に行く方がメインではないか。

バスは、ロス・エロエス 駅近くまでやってきた。係員がやってきて、「○○通りは道の反対側のあそこだ。このバスは駅の所で止まるから、お前はこの道を少し戻ればよい」と親切に窓の外を指しながら教えてくれた。最初にこういうことがあったおかげで、とにかくチリという国が好きになった。

Hotel Tokyo のベルを鳴らすと、年老いた女性が出てきた。もっと若い人を想像していたので、ちょっと驚いた。彼女はモニカという名前で、年下の日本人と結婚し、10年日本に住んでいたそうだ。日本語を話すがチリに移り住んでからはほとんど使わないのでどんどん忘れていくそうだ。ご主人は日本の市役所で働いており、あと3年で定年なのでそれを待ってチリにやってくるらしい。

部屋の準備ができていないということで、居間で日本のテレビを録画したビデオを見せて貰った。居間や食堂には、人形やら陶器やら、たくさんの日本の古いものが置いてある。これらはサンチアゴに住む日本人から買ったものだそうだ。サンチアゴに住む日本人はお金欲しさに移民するときに日本から持ってきたアンティークをオークションに出すのだそうだ。

鉄砲が置いてあって、これはいくらだと思う? というので、適当に100万と答えたが、30万円くらいで買ったそうだ。とても安い、安いと連発していた。

Hotel Tokyo, Santiago by Ik T

Hotel Tokyo, Santiago by Ik T uploaded on 30 Apr 2009

Hotel Tokyoの中庭

ようやく部屋が空いたので荷物を運ぶ。プライベートシャワーつきでUS$35。ちょっと高めだ。中庭がきれいで花や鳥のさえずりを楽しめる。そういうのが好きな人にはお推め。

洗濯する場所がないか聞くと、クリーニング屋へ行けという。一回いくらというシステムなので、どんなにたくさん出しても 2000ペソで、安いんだそうだ。クリーニング屋の場所と謎の呪文「ラバド イ セカド」を教えて貰った。「洗濯と乾燥」という意味らしい。「ラバド イ セカド、ラバド イ セカド、......」

クリーニング屋はあとにして、さっそく中心部へ繰り出すことにした。

まずはアメックスのオフィスへ。ここにはりっぱなオフィスにそぐわない汚らしい旅行者がたくさん来ている。私がいった時は特に汚い連中が列を作っていた。それにしても、やだ、やだ、こーゆーヒッピーみたいなやつらはキレーだ。なんでそんなやつらが来るかというと、なんとこのオフィスでは、トラベラーズチェックを US$ に換えてくれるのである。チリペソを手に入れるのにもドルの現金からの方がレートがいいし、何よりこの南米の地で米ドルキャッシュが手にはいることはとてもありがたいことだ。

あまり大量に換えてしまうと何のためのトラベラーズチェックかわからないが、この先、南を回ってくる間はドルのキャッシュをどんどん使うので、US$500現金に換えた。

日が高くなるに連れて、どんどん暑くなっていった。セントロの歩行者天国になっている通りは大変な人出である。クリスマスが近いこともあって準備の買いものに来ているようだ。みんなが山盛りのアイスクリームを食べているので、真似をした。いろいろあってどれがどれやらわからないので、とりあえず名物ということでチリモヤを選ぶ。盛り方が半端でない。超山盛りだ。みんなアイスクリームが大好きみたいだった。

お昼は中央市場でとることにする。これがとぉ?っても楽しみなのだ。入口がよくわからず裏の方に回るとさっそく食堂が並んでいる。「ウニ!、サカナ!」のかけ声につられて小さな店に入る。壁のメニューをみてわかるものを探した。

Paila Marina. これはうまそうだ。これを頼むことにする。でてきたものは海の幸スープとでもいうべきもので、とにかく涙が出るほどうんめぇー。似たものに Sopa Mariscos というのもあるのだが、どこがどう違うのかよくわからなかった。これで 1900ペソ。

ウニがあるんだよなあと思って見ると 3000ペソとちと高い。よその店もたいてい3000から4000ペソくらいで結構高いものだということがわかった。

中央市場を出て、教会の中を見学したり、ランチリのリコンファームをしたりして、そろそろ宿へ帰ろうと思って気がついた。謎の呪文はなんだっけ? 忘れてしまった。ふむ、呪文がなくてもなんとかなるだろう。

帰り道にクリーニング屋があったので、呪文のヒントがないか見てみる。看板には LavaSeco とかなんとかあり、なんとなく思い出すが、ラバドとセカドだったかセカダだったか、そんなようなやつだ。

宿へ帰り、洗濯ものをあるだけ持って教えられたクリーニング屋を探す。簡単 に見つかり、みると入口の所に料金表があって、Lavado...1000,Secado...1000とあるので、ようやく呪文を思い出す。

「ラバド イ セカド、ポルファボール」

呪文は正しかったと見えて、何ごともなく受け付けてくれた。どのように会話したのか忘れたが、とにかくシエテ (7時)に取りに来れば良いとわかった。

宿に帰って寝る。気がついたら10時過ぎで、結局取りに行けなかった。夕食もパス。

 
当時、チリに関して参考にしたWEBサイト
チリもつもれば - 駐在者がおくるチリの生活情報
 
 
1997年春から1998年春にかけて20世紀最大のエルニーニョ現象があったようだ。ただ、12月頃はペルーでは高温になるもののチリの気候にはあまり影響はないらしいし、まして寒くなるようなことは無いようだ。サンチアゴの朝は涼しかったが昼間は東京の夏のようにえらく暑かった。
 
Lavado y Secado は、washing and drying つまり 洗濯と乾燥という意味。
 
Sopa Mariscos は Seafood Soup の意味。Paila Marinaは Wikipedia に詳しい。
 
市場
料理
チリ

サンチアゴの街を歩く

サンチアゴの街を歩く post_monchan 2009/06/21(日) - 21:19
子供のミイラのレプリカ

子供のミイラのレプリカ

1997年12月19日(金) 

サンチアゴは博物館の街なんだそうな。そういうわけだから、一つくらい博物館に行ってみようかな、と思って出かけることにした。数ある中で私が選んだのは自然史博物館である。「100万年前の世界で最も古い岩」と「5000mの高地で発見された500年前の子供のミイラのレプリカ」が目玉らしい。

博物館は Quinta Normal という公園の中にある。公園は地下鉄の駅から歩いて20分くらいと、割と行きやすい所にある。「それにしてもこの暑いのはなんとかならんのか。ぶつぶつぶつ......」と言ってる間に着くくらいの距離だ。

博物館に入ってすぐに予想外の困難にぶつかったことを思い知った。

説明が全部スペイン語ではないかね。くすん。

そういうわけだから「歩き方」のほんの数行の解説を頼りに想像たくましく眺めていくほかないのだった。実は「世界で最も古い岩」があることさえ知らなかったので途中でそれを知るや否や、見逃したかもしれないので最初から見直し、なのであった。(;_;)

もっとショックだったのは、「イースター島のロンゴロンゴは世界に20枚しか無く、そのうちの3枚がこの博物館にある」ということがあとでわかったことだ。もちろん見逃してしまった。(;_;) そーゆーことはサンチアゴの博物館のページに書いておくべきじゃないかと思うんだけどな。イースター島のページじゃなくってさ。

* * *

午後はまたセントロ界隈をぶらぶらした。このあたりには不思議なコーヒースタンドがたくさんある。なかなかまともなコーヒーにありつけない中、ここではちゃんとしたコーヒーが飲めて、しかも340ペソと値段が安い。コーヒーの好きな人間としてはありがたい存在なのであちこちの店を利用した。

どう不思議かというと、カウンターの向こうはみ?んな若くて美人の女性たちで、しかもミニスカ、ボディコンはあたりまえ。店によっては Tバックみたいのだったりして、結構過激でなんじゃこりゃなのだ。Cafe Haiti とか CafeCaribe とかいう割と大きな店はメインストリートに面していて、女性のコスチュームもおとなしめだ。過激なのはモールの中に入っていくとある。が、別にへんなところではなく割と簡単に見つかるところにある。客層はパリっとした格好をしたビジネスマン(ほとんど男性)で、ただコーヒーを飲んで行くのだ。

生ジュースの店を見つけたので入った。が、メニューの内容が全然分からん。アイスクリームの時もそうだったのだが、果物の名前がスペイン語だと想像もつかないのだった。ナランハくらいしかわからない。で、チリモヤジュースを頼んだ。季節外れのはずだからたぶん冷凍だろう。おいしかった、はずだがどんな味だったかもう忘れた。

とにかく暑いので、冷たいものを飲んでばかりで、あんまりどこへも行きたくない気分なのだが、とはいえ、こんなことばかりしているのもなんだな、という気にもなり、はっきりせい! と言いたくもなるかもしれないが、まあ、とにかくサンタルシアの丘へでかけた。近いし、丘の高さもたかが知れているので疲れないだろう。エレベータがあるっていうしな。

サンタルシアの丘の泉

サンタルシアの丘の泉

が、エレベータはあったが、誰もいなくて動いてなかった。しかたがないので、てくてく階段を登った。頂上の広場には泉があって、子供たちが飛び込んだり、泳いだりしていた。近くではアイスクリームを売っており、子供向けなせいか100ペソとむちゃくちゃ安いのだった。頂上からはいい景色が眺められたが、天気がよくても空はスモッグで汚れており遠くの山々は微かに見えるだけだった。なるほどねー、絵はがきとはえらい違いだわねー、これがサンチアゴ名物のスモッグかぁ、と妙な感心の仕方をしつつ頂上をあとにした。

帰りはエレベータが動いていた。エレベータを操作するおじさんはきっと長い昼休みをとっていたに違いない。乗る人が自分で操作するとか、昼休みは誰かと代わるとか、って誰も思わないんだろうか。思わないんだろうな。

 
ロンゴロンゴに関するサイト。
Rongorongo
The Rongorongo of Easter Island
 
ロンゴロンゴが世界に何枚現存するかについて。
上記のサイトやWikipediaによれば、Tablet(木片)に書かれたものが21(もしくは20)、その他が5つ、ということらしい。
 
博物館
チリ

中華「新世界」

中華「新世界」 post_monchan 2009/06/21(日) - 21:24
Hotel Tokyo, Santiago by Ik T

Hotel Tokyo, Santiago by Ik T uploaded on 03 May 2009

1997年12月20日(土) 

昨日の夕食は Hotel Tokyo のご主人がいつも行くという中華料理に行った。名前を Nuevo Mundo といい、これは New World という意味だ。日本語では「新世界」ということになる。昨日は、チャーハン(450ペソ)とチャプスィオリエンタル(1300ペソ)とジャスミン茶(400ペソ?)にした。オハシはありませんかというとちゃんと割箸がでてきたので、何だかうれしくなってしまった。

Hotel Tokyoのモニカおばあさんが言う通り、安めの値段だと思う。Hotel Tokyoからセントロと反対の方へ少し歩いた所で、割と辺ぴな所にあるのだが、一組か二組くらい観光客が来る。

今日も中華「新世界」へ行くことにした。今日は、ちょっと贅沢にチャーハンと Congrio con Pana (2600 ペソ)、Sopa Oriental (950ペソ)にする。最後に何か中国茶を飲みたかったのだがジャスミン茶しかないようでそれにする。

本当はサンクリストバルの丘とその周辺にでも行ってみてもよかったのだが、で、今思うと行けば良かったとも思うのだが、なんだか出かける気がしなくて宿でごろごろしていた。

モニカさんに地球の歩き方フロンティア編イースター島を貸してもらって読んでいた。外は暑いが部屋の中は涼しく、昼寝にもよかった。宿の庭では強い日差しに緑が映えて、鳥がさえずり、花も咲いていてきれいだった。

庭の写真を撮っていると横のソファでは宿のメイドさんがお昼寝タイムだった。

のどかな一日を過ごし、いよいよ明日はパタゴニアへ出発だ。

 
料理
チリ

パタゴニアへ

パタゴニアへ post_monchan 2009/06/21(日) - 21:29

1997年12月21日(日) 

ロスエロエスの空港バス停留所へ行くとちょうど Centro Puerto のバスが来ていた。行きは高い方のバス(Tour Express 1000ペソ)だったが帰りは安い方のバス(640ペソ)というわけだ。

夕べ、モニカさんに宿代を払って、これからプンタアレーナスへ行って、それからプエルトモンへ行ってくるというと、いつ帰ってくるんだというので、1月2日だというと、じゃ、予約しときなさい。というわけで、半ば強引に1月2日にサンチアゴに戻ったときにも Hotel Tokyo に泊まることになってしまっていた。

モニカさんという人は、スペイン語を勉強しなくちゃだめだといって無理矢理紙に書かせたり、シャツの下に貴重品を入れているとそんなの一目でわかるからだめっ!と怒ったり、ちょっと小うるさい所があり、気持ちの優しい日本人青年?としては傷つけちゃいけないと思って言うことを聞くようにしていたので、結構疲れた。

彼女は日本語を話さなくなってずいぶん経つので、ときどき単語が出てこない時があり、そんなときはいらいらして怒っちゃうのだ。「なぜ、私の言いたいこと、あなた、わからない」なんて言われてもそんなのわからんよ。でも、彼女は日本で暮らしていたとき、文脈から推定して単語の意味をつかんでいったのだそうだ。「だからあなたも想像すればわかるはず」って言われてもねえ。

* * *

サンチアゴを発った飛行機はプエルトモンに寄って無事プンタアレーナスへ到着した。途中、プエルトモン上空では、富士山にそっくりなオソルノ山の美しい姿を見ることができた。雪で真っ白になっておりそれはそれは美しい山だった。このまま後回しにして通り過ぎてしまうことが残念なくらいだった。それでも、後のお楽しみができてなんだか嬉しくなった。これから先の旅が楽しくなりそうだった。

ちょうどいい季節なのだろう。ここにも、チリに住んでいると思われる日本人家族が旅行していた。小学生くらいの子供を連れていた。荷物が出てくるのを待ちながら様子を見ていると、どうやら旅行会社の迎えがあるようだった。

私はもちろん自力で町まで行かなければならないが、「飛行機に合わせて地元の会社がバスを走らせている」という情報しか持っていない。外に大きなバスが止まっていたので聞いてみるとこれはプエルトナタレス行きだという。

それもいいかもなーと思ったが次の瞬間、バスは行ってしまった。しかたがないので、うろうろ探すと小型のマイクロバスがいたので、聞くとこれがプンタアレーナス行きだった。

バスはアルマス広場からちょっと離れた、バス会社のオフィスの前に止まった。バスから降りてもホテルの客引きがいない。はてさて、どうすべ、と考えているとバスの時刻表が目に入った。プエルトナタレス行きが午後5時にあるらしい。どっちみちプンタアレーナス観光より先にプエルトナタレスに行こうと思っていたので、このまま行っちゃうってのもいいなあと気持ちが傾いた。

それに、プンタアレーナスは想像以上に田舎の淋しい町だったので、なんだかまた移動したい気持ちもあった。ここはなんだか気持ちをわくわくさせるものがないのだった。そういうわけで、決心すると、早速、プエルトナタレス行きのバスのチケットを買った。プエルトナタレス到着は午後8時頃。まだ明るいはずだ。

外はちょっと寒くて、バス会社のオフィスの中は暖房が入っていた。オフィスに荷物を置かせてもらって、近くのスーパーにおやつを買いに行った。

5時に会社のオフィスの前を出発したバスは、ちょっと走って別の旅行代理店の前に止まった。そこからかなりの数の旅行者が乗ってきた。やっぱり、旅行者はたくさんいるんだな。いよいよバスはプエルトナタレスに向けて出発だ。

と、思ったら空港に舞い戻ってしまった。空港と町の往復分を損したが、まあ、そういうことはよくあることなので、気を取り直して? プエルトナタレスへ出発だ。

どんよりとした雲りの天気の中、羊や牛が群れる草原の中をを3時間半ほど走り、プエルトナタレスの町に到着した。例によって到着したのは町の中心からちょっとはずれたバス会社のオフィスの前だった。

宿の客引きが来ていたが、客引きについていくとろくな宿にありつけないと決めてかかっていたので、迷わず町の中心に向かって歩きはじめた。同じようにバックパッカーの2人組が前を歩いていた。町はいよいよ小さくてちっぽけだった。

この町のアルマス広場はちょっと趣が異なる。中心には赤と黄色に塗られた機関車が置いてあり、広場全体には緑がたくさん植えられている。広場というよりむしろ公園に近い。普通は広場を中心に主要な施設が集まってにぎやかなはずだが、この町の一番の繁華街は広場からちょっとはずれた所にある。

広場を通り過ぎて、目指すところはロンリープラネットで探したホテルナタリーノという宿である。バストイレ付きだがちょっと狭い部屋で一泊12000ペソということだった。板張りの床と壁で、部屋の中は暖房が効いていて、スキー宿みたいな感じだった。

時間は9時近いが外はまだまだ明るい。夕食を食べに出かける。La Tranquera という店で2600ペソのサーモンを食べた。歩き方に載っているレストランだからかどうかしらないが、入り口の所で日本人の女の子とすれ違った。この町ではかなりな数の日本人とすれ違った。パタゴニアへの拠点であるせいか、プンタアレーナスよりもプエルトモンよりもずっと多かった。「氷河」と「ペンギン」はやはりそそるものがあるのかしらん。そーゆー自分も「氷河」と「ペンギン」を見に来ているのだけれど。

サーモンを食べていると突然、けたたましい警笛を鳴らし続けるピックアップが何台も前の通りを通過した。荷台には大勢の若者というか子供が乗っていて旗を振り回している。一瞬何事かと思ったがすぐにわかった。サッカーの試合が終わったようだ。こんな田舎で試合があったのか、プロの試合があったのか、学校の試合の応援なのか、それともひょっとしてテレビを見ていただけか、なんだかよくわからないが、とにかく南米に来ていることを思い出させる光景だった。が、なんといっても田舎だし、夏なのに寒いし、町の中はあんまり盛りあがっていないようだった。

食事が済むと周辺の旅行代理店を物色しつつ宿へ帰った。時間は10時前なのにまだまだ明るかった。結局、11時まで外は明るいようだった。

 
チリ

パイネツアーはどうやって探す?

パイネツアーはどうやって探す? post_monchan 2009/06/21(日) - 21:35

1997年12月22日(月)

今日は、パイネ国立公園へのツアーを探す予定だ。町中には旅行代理店がたくさんあり、いったいどこにすればよいのかわからなくてしばらくうろうろする。そうしていてもしかたないので、よさそうな所に入ってみる。と、そこは地元の人が大勢両替に来ていて混んでいてなかなか話すきっかけがない。おまけに英語が通じなくて、早くもくじけてしまった。で、あーたらこーたら言うのを、居合わせたおじさんが通訳してくれることには、なんだか別の場所へ行けということだった。

居合わせたおじさんがいっしょに歩いて連れていってくれたのは、SERNATURという観光案内所だった。もちろん、そこは英語が通じるしなによりとても親切なのだった。「パイネへ行きたい」というと、朝7時にここにくればよいとのことだった。パイネツアーは12000ペソだった。行く場所の説明を聞くとグレイ氷河までは行かないらしい。「氷河へ行きたいんだけどな」

氷河まで行くためには公園に一泊しないといけないらしい。おまけに3時間か4時間か歩くらしい。なんでも「氷河の上を歩くツアーもあるよん」と言う。なにも上を歩かなくてもいいんだけど。それにきついのはやだし。氷河を歩くツアーはUS$84だそうだ。で、何人くらいで行くのか聞いたら、「いや、あんた一人のためのツアーだ」というので、なんかつまらなそうでやめた。ちなみに、氷河へ行くなら、レギュラーバスが7000ペソ、レフジオという避難小屋の宿泊が7000ペソだそうだ。

氷河へ行くのはけっこうたいへんだということがわかり、もう少し考えようと思って、SERNATURを出て別の店を探す。

次の店、Mily Tours は、ご主人は英語はいまいちだが、若い女性が英語で相手をしてくれた。英語しかわからんやつがたくさん来るものだから、担当者を置いているといった感じだ。どうやら英語しかわからんような言葉の不自由なやつは皆そっちへ回されるようだった。

ここでもパイネツアーは12000ペソだった。氷河へ行きたいんだけど、近くまではいけないんだよねえというと、セラーノ氷河ツアーというのを紹介してくれた。船でしか行けない国立公園にある氷河で、ちょっと歩いて氷河の近くまで行けるという。「明日、パイネへ行って、明後日、セラーノへ行ったらいいんじゃない」などと言うので、ついその気になって両方行くことにした。セラーノへの船でのツアーは他ではやっていないらしく、お薦めらしい。セラーノのほうは20000ペソだった。

両方をカードで支払った。32000ペソだが、これがもしドルで請求されたら大変だ。「これってずぇったいペソだよね」というとチリではクレジットカードはすべてペソに決まっているということだった。

さてさて、ツアーの申込もすんで一安心。今日はもうゆっくりしよう。

少しばかり両替をすることにした。Stop Cambio という両替屋で US$1 = 422ペソだった。サンチアゴ市内では 435ペソくらいだったのでそれには到底かなわないが、プンタアレーナスやプエルトモンとはたいして変わらない。むしろレートは若干よかったくらいだが、為替の変動かもしれない。

あとは、例によってスーパーで食料を調達して今日はおしまい。町を少し歩いてバスの時間を調べたり、明後日のツアーの船がでる港をチェックしたり、お土産やさんをのぞいたりして過ごした。

25日はクリスマスなのでバスの数は少ないようだ。あるバス会社で朝のバスがあったのでさっさとチケットを買ってしまった。3000ペソ。

 
チリ

パイネ国立公園へ

パイネ国立公園へ post_monchan 2009/06/21(日) - 21:38

12月23日(火)

ミロドン洞窟

ミロドン洞窟

今日のツアーは朝7時半にホテルに迎えが来ることになっている。朝食はいつも宿のご主人が用意してくれる。ホテルナタリーノのご主人は英語を話さないが、かまわずスペイン語で話し掛けてくる。それもかなり話し好き、世話好きらしくぺらぺらといろいろなことを話してくる。二階に共用の明るいリビングがあるよとか、そこに日本語の本があるとか、そういうたわいもないことなのだけれど、なんだかとってもいいおやじだった。

ツアー用の車はバスではなく座席が3列もあるようなRVのでかいやつだった。まず、パイネへ行く途中にあるミロドン洞窟という所へ寄った。ミロドンというのはこの洞窟で発見された動物の名前で、その動物を復元した像が洞窟のなかにある。ミロドン洞窟の入場料1600ペソはツアー代とは別である。

洞窟といっても入り口の幅も高さも数十メートルあり、奥行きもそうあるわけではないので、中も明るくて、あまりおもしろいところではなかった。だだっぴろい洞窟の中を一回りしてくるように道ができている。入り口付近にミロドンの像があるのだが、体は熊のようで、顔はもう少し細長い。口元は馬に似ているかも。

どうでもいいような洞窟をあとにして、パイネ国立公園へ向かう。

Paine national park by Ik T

Paine national park by Ik T uploaded on 27 May 2006

ガウチョ

途中の景色のいい所で車を停めて、写真を撮ったりしていると、犬を3匹連れて馬に乗ったおじさんがやってきた。馬の脇腹には赤い色をした肉をぶら下げている。この人がガウチョだそうだ。ぶら下げている肉は羊の肉だとのこと。ガウチョのおじさんは暖かそうなチョッキを着て、ベレー帽みたいな帽子をかぶっている。帰りに別のガウチョにも会うのだが、やはり犬を3匹連れていた。しばらく観光客に写真を撮らせてくれて、ガウチョのおじさんはさっそうと去っていった。かっこいい。

Guanaco in Paine Natioanl Park by Ik T

Guanaco in Paine Natioanl Park by Ik T uploaded on 27 May 2006

グアナコの群れ

途中、グアナコの群れに出会った。最初はグアナコなんてわからずに、これビクーニャか?なんて聞いてしまった。ビクーニャは希少動物で保護されていてそうそう会えるわけではない。(でも、グアナコとビクーニャとリャマとアルパカはみんな似ていてごっちゃになってしまう。)

警戒しているのか、興味があるのか、カメラを構えているとキョトっとした目でこちらを見る。特に子供のグアナコは不思議そうにこっちを見ている。なんとも愛敬のあるやつだった。

パイネ国立公園の入場料は6500ペソだった。公園の入り口の所でキツネに出会った。が、いやに人間に慣れており、どうやら餌付けされているようだった。

ペオエ湖 Lake Pehoé - Paine N.P. , Chile by Ik T

ペオエ湖 Lake Pehoé - Paine N.P. , Chile by Ik T uploaded on 23 May 2009

ペオエ湖

ペオエ湖という湖にやってきた。ここから、我々のツアーでは使わないが対岸への遊覧船が出ている。大勢のトレッカーたちが船を待っているようだ。近くにある滝を見に行ったら、日本人の若者に会った。やはり船を待っている所だそうで、大きなバックパックをしょっている。なんでも、4日間、この公園内に滞在するそうだ。食べ物さえあればもっと長く居られるのだがそうもいかないからとのことだ。宿の心配はないらしい。

公園内に滞在するには何個所かある避難小屋(レフジオ)に泊まることになる。夏は大変混雑していてなかなか泊まれないなどとガイドブックには書いてあるが、12月のいまだと、まだそんなに混んでいないようだ。

Torres del Paine by Ik T

Torres del Paine by Ik T uploaded on 27 May 2006

パイネ峰

パイネ峰は、二つの尖がった形の山の間を氷河がえぐるように流れているという、ちょっと変わった形なので一目見ると忘れない。周りの山々は雪を白くなっており、氷河もそこかしこにある。パイネ国立公園はそうした山々と氷河によってできたたくさんの湖とでできていると言ってよい。あたりは湖だらけで、車はそうした湖と湖の間を縫うように走るのだ。

ペオエ湖を通り過ぎて、グレイ湖へ向かう。ペオエ湖は青みがかった緑色をしたとても美しい色の水をたたえた湖だった。イースター島の海の色も美しかったが、ここの湖の色も大変美しい色だった。プエルトモン周辺にも美しい湖が多いのだが、こちらはこちらでもっと濃い青色をしている。

カフェのようなところで休憩しているときに、突然中年夫婦に話し掛けられた。私がカナダのバンフで買った服を着ていて、胸に「バ・ン・フ」と書いてあったからだった。

「バンフに行ったことがあるの?」

彼女らはフェアバンクスに住んでおり、数の子漁の仕事をしているとのことだった。日本にも輸出しているらしい。夫婦で、バンフはもちろん、世界中あちこちに旅行にいくようだ。日本にも行ったことがあり、築地の市場を見学したそうだ。

「数の子があったわ、私たちのかどうかはわからないけど」

アラスカといえば、オーロラ。オーロラは見えるの?と聞くと、家から見えるという。なんて素晴らしい。

「へぇー、すごいすごい。オーロラって一年中見えるの?」

だが、これはちょっと馬鹿な質問だった。

「うん。いや、夏は見えない。夏は夜も明るいからね。白夜だから」

そりゃそうだ。

旅の楽しみのひとつは世界中のいろいろな旅行者と話をすることだと思う。こういうタイプの夫婦の旅行者はどういうわけか欧米人に限られていて日本人にはなかなかいない。

グレイ湖 Lake Grey  - Paine N.P. , Chile by Ik T

グレイ湖 Lake Grey - Paine N.P. , Chile by Ik T uploaded on 27 May 2006

グレイ湖

車はグレイ湖のそばまでやってきて、いよいよグレイ氷河から割れ落ちてグレイ湖に流れてくる流氷を見に行く。車を降りて林の中を少し歩くとグレイ湖のほとりに出る。ものすごい強風だ。氷はかすかに青白い色をしている。50円くらいのソーダアイスの色に似ている。

氷までの距離が遠いせいか、曇り空でさえない色をしているせいか、流氷を見た最初は「ふーん、こんなもんか」という印象だった。

吹き荒ぶ風の中、転がっていた大きな流木を風除けにして、流氷を見ながらお昼ご飯を食べた。お昼といっても昨日スーパーで買ったパンといわしの缶詰とジュースである。ツアーにお昼は付かないし、他の人たちは食べ物を持っている風には見えないのだが、いったいどうしているのだろう。ひょっとするとお昼は食べないのかもしれない。

天気は曇り空。風が吹き荒び、わびしい食事をしながら青白い流氷を眺める。想像していたのとはかなり違う氷河見物になったが、まあそれでもこの不思議な光景は印象に残った。

湖の遥か向こうにはグレイ氷河が見える。あそこまでいけばなかなか楽しそうだが、なにしろ歩いて3時間もかかる距離だ。

湖のほとりは砂浜になっていて、浜沿いに少し歩くと岬のように山が湖に突き出ている所があった。そこに登れるように道ができているので、上まで登ってみると流氷群を上から見ることができてこれはなかなか見ごたえのある景色だった。岬の先の方までいくと、流氷に近づくことができる。流氷は遠くにあるほど大きく、岸に近いと小さいから、岸から遠くのりっぱなやつを見ることができてちょっとうれしい。遠くのグレイ氷河もいくらかはっきりと見える。

そうしているうちに集合時間が来てしまったので、急いで帰ることにした。車までの帰り道が相当あることを忘れてしまい、途中少し走って5分くらいの遅刻だった。どうせみんな集合時間はいいかげんだろうと思っていたら、とんでもない。日本人の私以外は全員座席に座って待っていてくれたのだった。

行きはあちこち寄りながら来たので知らぬまに着いてしまったような気分だが、帰りは何時間もひたすら車を走らせて町を目指す。ツアーのメンバーも眠ってしまったりぼんやり窓の外を眺めて静かにしている。途中、1回休憩して、やっと町にたどり着いた。

ほんのさわりだけだったが、雄大な景色を存分に味わうことができて、なかなかいいツアーだった。さらに時間をかけて公園の中を歩き回ればどんなに素敵だろうかということは容易に想像できる。本格的なトレッキングをする人たちにとってはこたえられない楽しさだろうなと思う。明日のセラーノも楽しみだ。

 
ガウチョ Wikipedia
つまりガウチョとは混血住民のことであって職業名ではない。職業としての牧人はバケーロである。このおじさんがほんとのガウチョだったかはいまとなっては不明。
 
チリ

セラーノ氷河を見に行く

セラーノ氷河を見に行く post_monchan 2009/06/21(日) - 21:42

1997年12月24日(水)

今日のツアーは、8時45分に港に集合なので朝は少しゆっくりできる。21 DE Mayo という船と A. DE AGOSTINI という船の二隻で出かけるようだ。私は、A. DE AGOSTINI という大きいほうの船だった。

途中、シーライオンが見られるとのことだったが、小さな島の岸壁の海から2メートルくらいの高さのくぼみに一匹いただけだった。うじゃうじゃいるところを想像していたのに。ちょっとがっかり。おまけによくあることだけど、遠くてよく見えない。

途中、コンドルが巣を作る場所があるとのことだったが、たかーい岸壁のはるかかなたに3羽のコンドルを発見できただけだった。まあ、よくあることだが小さくてコンドルだかなんだかよくわからなかった。

とはいえ、飛んでいるときの姿はまさしくコンドル。羽の先が3つに分かれていて「おおっ、」と思わせるものがあった。

途中、なんとかいう鳥がうじゃうじゃいた。ロンリープラネットによれば cormorant (鵜)だそうだ。なんだかわからないがうじゃうじゃいたが、あまり見てて楽しい鳥ではなかったらしく、あまり記憶にない。

そうこうしているうちにセラーノ氷河までやってきた。ここで陸に上がって、歩くこと10分ほどすると、セラーノ氷河の終端、氷が水に落ちるところにやってくる。グレイ氷河のときと違って今度は間近に氷河を見られるので、わくわくする。

で、その氷河の印象だが、一言で言えば「ばっちい氷のかたまり」である。昨日の流氷も少し汚れていたが、こっちはもっと泥汚れでばっちい。東京あたりに大雪が降って、2、3日たったあとの汚い雪のかたまりといったふうである。氷なんだから表面がきらきら光っているのを想像したのだが、ぜんぜんそんなことはなく、ざらざらとした感じで氷というよりは雪だなあれは。これは、昨日の流氷も同じである。

何日も、いやいや何年も雨風にさらされていたのだから当然といえば当然だが、かなり侵食されて、ちょうど犬歯が何列にも並んでいるような感じである。これだと、氷河の上を歩くどころの騒ぎではないなと思った。第一えらく勾配が急で、かなりな急流なのだ、この氷河は。

そのうちの一つがどどどっと崩れ落ちて離れていくのだろう。それを期待したのだが、見ている間まったく何も起こらなかった。

氷河はどれくらいの速度で流れるのだろう。一年に数十センチだったか、そんなものだろう。今見ている氷は、何千年も前にできて少しづつ流れて、今、ようやく氷河の端にたどりついて水になろうとしているところだろう。

とまあ、そういうふうに考えれば少しは感慨もわくというものだ。悠久の時の流れと人生の短さとを比べてしみじみしながら、相変わらず貧しいお昼ごはんを食べるのだった。

* * * * * *

プエルトナタレス、プンタアレーナス、それにプエルトモンとかチロエ島でもそうだったのだが、食堂のメニューはえらく単純だった。だいたい、肉か魚。肉ならたいていローストチキンかビーフステーキだ。魚は、サーモン、コングリオ、たらなど。コングリオというのはアナゴだそうだが、むしろたらに似ていて、硬く身がしまっていておいしい。チリでよく食べる魚である。

店にもよるがメインディッシュには付け合せはなく、別に注文しなければならない。だいたい、ポテト、トマト、アボガド、ライスのどれか。特に凝った調理はせずに、トマト、アボガドはそのままスライスしてでてくるし、ポテトはフライドかマッシュかベイクド、ライスは塩味がついたもの。

メインと付け合せだけで$7~$8するので、これと飲み物だけという人が多い。チリは夕食が質素なのだ。野菜が足りないような気がするので、トマトスープとか、アボガドスープとかを付けて、$10くらいというパターンが多かった。レストランの値段は高めなような気がする。

ところで、緑茶を持っていったので、宿でお湯をもらって淹れてみたのだが、どうもおいしくない。やはり、水が違うということなのだろうか。あまりにも期待はずれなのでちょっとがっかり。

 
オタリア Wikipedia
シーライオンといっているのはこれ。英語ではSouth American Sea Lion。Sea Lionとはアシカ科の動物全般を指す言葉で、オタリアはアシカ科の一種。
 
チリ

プンタアレーナスでペンギンツアーを探す

プンタアレーナスでペンギンツアーを探す post_monchan 2009/06/21(日) - 21:45
Sara Braun’s Palace - Punta Arenas by Ik T

Sara Braun’s Palace - Punta Arenas by Ik T uploaded on 20 Jun 2009

1997年12月25日(木)

今日も早起きして、パンとコーヒーだけの質素な朝食を取る。8時のバスに間に合うようにチェックアウトする。12000ペソX4泊なので、4万ペソだして残りを出そうと思ったら細かいのが5千ペソしかない。仕方がないので、もう1万ペソだしてお釣りをくれと言おうとしたら、ホテルナタリーノのご主人が「いいよ、いいよ、それでいい」と言ってくれた。ラッキー。

もちろん言葉はわからないのだが、とりあえずコミュニケーションは成り立ったのだ。ご主人は、おじいさんと言ってもいいような歳の人だが、いい人だった。ただし、ナタリーノはあの部屋で12000ペソはちょっと高いかな。あるいは、プエルトナタレス全体が高めということも十分考えられるけれど。

* * *

ほんの数人の客をのせて、バスはプンタアレーナスへ向かった。クリスマスなのでバスの本数も少ない。来るときは2500ペソだったが帰りは3000ペソだった。クリスマス値段ということもないだろうから、バス会社の違いだろうか。特に帰りが豪華だったということはない。

プンタアレーナスでは、ホテルモンテカルロという所に滞在した。バス・トイレ共同、朝食なしで7900ペソ。ツインルームを一人で使わせてくれた。階段や床が木でできているので、日本の旅館の雰囲気だ。

荷物を置き、1階の食堂でコーヒーを飲んでから昼食を食べにでかける。が、町中がらんとしていてどこもやっていない。広場から数ブロック離れた通りでやっと見つけて昼食にする。他にレストランがないせいか、地元の人も車で乗り付けて食事をしていくようだ。

今日は何もすることがない、というより何もできない。Lonely Planet でペンギンツアーをやっている旅行代理店とクリーニング屋を確認し、休みとはわかっているが場所だけ見に行って、あとは宿でごろごろしながら読書をした。

 
 

1997年12月26日(金)

今日の仕事は、ペンギンツアーの申し込みをすることだ。

朝食は付いていないので、近くの Kalipso というところでホットドッグを食べる。チリでは、completo というとホットドッグのことを指す。ホットドッグといってもドトールのジャーマンドッグみたいなせこいやつを想像してはいけない。パンは4cmくらいの高さのあるもので、ソーセージの上にトマトとペースト状のアボガドがたっぷりのっている。時間は有り余っているので、カフェコンレッチェを飲みながら時間をつぶした。

プンタアレーナス近くのペンギンコロニーは二つあり、地球の歩き方には、Seno Otway というところがのっている。歩き方を読むとここしかないような印象を受けるが、もうひとつ Monumento Natural Los Pinguinos というところがあり、これは Isla Magdalena という島まで船に乗っていく。

Lonely Planet によれば、こちらの方が大きくてより面白いはずだ。Seno Otway の方はロープ越しに見るだけだが、Isla Magdalena の方はペンギンに近寄れるらしい。Isla MagdalenaのツアーをやっているTurismo Comapaの人もそう言っていた。そういうわけだから、Isla Magdalenaへのペンギンツアーに申し込む。US$30。明日の午後3時に港へ集合ということだ。

洗濯物を出しに行く。例によって洗濯機と乾燥機がずらっと並んだコインランドリーみたいなところなのだが、自分ではやらずに店の人に預けてやってもらう。それで、3360ペソとけっこう高い。ちょうど居合わせた旅行者は、今日の1時の飛行機に乗らなくちゃいけないとかで、自分で洗濯させてくれと言っていた。

プンタアレーナスという町は思ったよりもずっと小さくて寂しい感じの町である。特に見所もなく、小さな博物館がいくつかあるだけだ。広場近くのほんの一角ににぎやかといえばにぎやかな場所があるが、それだけである。

今日もまたまたすることがないので、ソナ・フランカへ行ってみることにした。ソナ・フランカ(Zona Franca)とはフリーゾーンのことであり、つまり免税地域なんだそうだ。歩き方には「ありとあらゆるものがそろっている。規模の大きさに驚きだ」なんて書いてあるが、決して日本やアメリカの大規模ショッピングセンターを思い浮かべてはいけない。

結論から言うと、ひまつぶしにはなるがわざわざいくようなところではなかった。Lonely Planetには「カメラを盗まれたりなくしたりしたらここで新しいのを手に入れるとよい」なんて書いてある。手ごろなおみやげがあるかと思ったが、安くてセンスのいいものはなかった。

 
Completo
Completo! by Cristian Cortés

Completo! by Cristian Cortés uploaded on 21 Apr 2007


by MrCortes
 
チリ

マゼランペンギンを見に行く

マゼランペンギンを見に行く post_monchan 2009/06/21(日) - 11:26

1997年12月27日(土)

集合時間よりかなり早く港へ行くと、それらしき船がみえない。まもなく、カーフェリーがやってきて大勢の旅行者とトラックなどを降ろしていった。旅行者はみな大きな荷物を持っていたので、たぶん、南のほうの遠くの町からやってきたようだ。

いったいどの船に乗るのだろうと思っていたら、そのフェリーに乗っていくのだった。船のほとんどの部分を占める車用のスペースを無駄にして、数十人のペンギンツアー一行を乗せて、船はコロニーのある島に向かった。船内はちょうど東京湾フェリーの中の雰囲気と似ていて、飲み物とスナックを売る売店があり、何箇所かにテレビがあって、それでひまをつぶす。島に着くまではこれといってめずらしいものはない。

やがて島に近づき、皆がやっと着いたかと出口付近に集まり出した。ふと、海を見ると流線型をしたものが、水面をジャンプしている。ややっ、もしやあれは。。。。まぎれもなくペンギンだ。

ちょっと興奮して、おおペンギンだ、ペンギンだと近くにいた子供に教えてやったが、子供の方は割と冷静にうなづくだけで、はしゃいでいるのは自分だけだった。とはいえ、船が接岸するときには島にうじゃうじゃいるペンギンの姿が見えて、みんなわくわくしていたような気がした。

島にはペンギンがうじゃうじゃいるのだが、人間が歩けるのは波打ち際から10mくらいのところまでで、それより中はロープが張ってあって入れないようになっている。

ここらへんにいるペンギンは、マゼランペンギンというやつで体長は80cmくらい。ペンギンはロープの内側で3-4m間隔で穴を掘って巣を作り、子供を育てている。食べ物を獲ったりするのに海に行かなくてはいけないから、ロープをくぐって海に出て行くペンギンや帰って来るペンギンが行ったり来たりする。砂浜ではなくごつごつした石ころなので、短足のペンギンにとっては歩きにくい。よたよた歩きながら、ときどきベチャっところんだりするところがかわいい。ロープから出るときは人間のいないときを見計らってでていく。帰るときも同じだ。

人間が近づくと、ものすごい勢いで逃げていく。とはいえ極端に恐れているわけではなくて、ある程度の距離があれば安心してすごせるらしい。むしろ好奇心旺盛でこっちをじっと見ていたりする。観光客のうちの何人かは真剣に写真を撮ろうとしているので、そろそろと近づいていくのだが、どうしても近くまでは寄らせてくれない。

そういう地道な努力を踏みにじるようにコンパクトカメラを持ったガキんちょが突然ダッシュして近づこうとする。そうするとペンギンの方もどひゃーっとパニックになって必死で逃げる。しかし所詮ペンギンなので飛ぶわけにもいかず、ある程度まで近づかせてしまうから、強襲作戦は成功したとも言える。しかし、そこまでやるか。ペンギンの身にもなってみろよ、ガキはこれだから困る、と思ったらおじさんもやっていた。いかにもそーゆーことをやりそうな脳天気そうなおじさんだった。

ロープの外では警戒心の強いペンギンも、ロープの中には人間が入ってこないということがわかっているらしく、ロープ際でも中ならば平然としている。どういうわけかロープ際に巣を作っちゃったペンギンというのもいて、そういう巣は近くから人間に観察されてしまうことになる。ロープ際の方が海に近くていいや、とでも考えたのだろうか。

「バックパッカーパラダイス」ではアルゼンチンでペンギンを見に行ってペンギンの背中に触ったりしていたようだし、Lonely Planet には、追いかけると逃げるがじっと座って待っていればもともと好奇心があるので近寄ってくるなどと書いてあるが、あまりそういうようなことは無いようだった。でも、圧倒的な数のペンギンといい巣穴がぼこぼこあるところといい、やっぱりきてよかった。

 
Isla Magdalenaへのペンギンコロニーツアーは前日にプンタアレーナスの町中の旅行会社で申し込んだ。US$30だった。港への集合時間が午後の3時と遅く、島に着くのは夕方だ。ペンギンの活動時間と関係あるのかもしれない。この時期、午後11時くらいまで明るいのでまったく問題ない。
 
チリ

プンタアレーナスで買った物

プンタアレーナスで買った物 post_monchan 2009/02/23(月) - 17:13
チリのおみやげ by Ik T

チリのおみやげ by Ik T uploaded on 22 Feb 2009

銅製のペンギンの飾り

チリは銅製品が有名で、プンタアレーナスでもおみやげに良さそうな素敵な小物を売っている店があった。

チリのおみやげ by Ik T

チリのおみやげ by Ik T uploaded on 22 Feb 2009

銅製のプレート

そこで買ったのが、ペンギンの飾りとプレート。プレートの方は、プンタアレーナスの町に実際にある Monumento al ovejeroというモニュメントを描いた物だ。

 
買い物
チリ

オソルノ山近くへ観光ツアー

オソルノ山近くへ観光ツアー post_monchan 2009/06/21(日) - 22:00

12月30日(火)

朝、集合場所である旅行会社の前へ行ってみると大型のバスが2台止まっていて、なにやら騒がしい。係員に名前を言うと乗るバスを指示される。今日のツアー客の中にもペウリャからプエルトモンへ戻る人もいれば、アルゼンチンのバリローチェへ抜けてしまう人もいる。そういう人は帰ってこないわけだから一切合切の大きな荷物を持って来ている。

バスはほんの30分ほどでプエルトヴァラスというリゾート地に着いた。ジャンキウェ湖のほとりにあり、遠くにオソルノ山がぼんやりと見えている。ここは、いかにも高級リゾートといった感じで、ホテルも高そうだ。町はこぎれいで上品な店が並んでいる。

一休みしたあと、湖に沿ってペトロウエを目指す。右にカルブッコ山(2015m)、左にオソルノ山(2661m)をみながら美しい景色の中を進む。これだけ近くに二つの火山が並んでいるところは世界でも珍しいんだぞとかなんとか言っていた。確かに左右それぞれにそれなりにりっぱな火山が見えて、ちょっと贅沢な気分がしないでもない。

Mt. Osorno by Ik T

Mt. Osorno by Ik T uploaded on 28 Jun 2009

オソルノ山

しばらく走りつづけてやっとバスが止まったところはペトロウエ滝というところだ。といってもそれはあとからガイドブックと照らし合わせてわかったことだけど。バスを降りると集合時間を聞いて、森の中へと歩いていく。ふと振り返ると、、、あぁ、すごい、オソルノ山がこんなに近くに見える。

いつのまにかこんなに近づいていたのだ。オソルノ山はチリ富士ともいい、といっても言っているのは日本人だけかもしれないが、それはそれは美しい山だ。

チリ

プエルトモンの街を歩く

プエルトモンの街を歩く post_monchan 2009/06/21(日) - 21:57

1997年12月28日(日)

今日は、プエルトモンに移動する日である。空港までのバスを出している代理店へ行くと、ペンギンツアーで知り合ったアメリカ人女性と出会った。

彼女はマイアミに住んでいて、一人で3週間、チリだけを回っている。日本からわざわざ来た旅行者からみると3週間もあるのになんてもったいないと思う。しかも、イースター島へは行かないのだという。

そういうふうに言うと、「また、何度でも来るから。マイアミからは安い飛行機がいっぱいあるし」という答えが返ってきた。想像するに、アメリカ人にとっては南アメリカは日本人が東南アジアへ何度でも出かけていくのと同じような感覚なのかもしれない。一回の旅行でひとつの国、他の国はまた今度というわけか。

どういうわけか日本の景気が悪いという話になり、「円が弱くて大変ねとか、失業率はどれくらい?」とかいう話をした。失業率は3%か4%くらいというと、「まあ、低いのね」ということだった。また、「景気がよくなるといいわね」なんていうので、「すでに我々はピークを通り過ぎたのだと思う」と答えたら、大笑いしていた。「みんな働く以外のことを考え始めたのね」だって。

* * * *

プエルトモンでは、Hotel Colina というちょっといいホテルに滞在した。町の中心に近いところにある中級ホテルで、一泊17000ペソ(朝食付き)。日本のビジネスホテル風の作りで、なんと部屋にテレビがある。

プンタアレーナスからやってくるとプエルトモンはりっぱな都会である。海に面したメインストリートは車がいっぱい走っていて、バスもひっきりなしにやってくる。ホテルの近くに3階建てのショッピングセンターがあり、2階のカフェではうまいコーヒーが飲めるし、3階はフードコートになっていてジャンクフードが食べられる。それだけのことでなんだか感動してしまった。

 

1997年12月29日(月)

プエルトモンでは、オソルノ山の近くへ行くツアーに参加して、あとはチロエ島へ行ってみる予定だ。

申し込んだツアーは、まずプエルトヴァラスというリゾート地へ行き、さらに右にカルブッコ山、左手にオソルノ山をみながらペトロウエ滝を目指す。そして、ペトロウエというところからロストドスサントスという湖を遊覧船に乗って渡り、対岸のペウリャという所でお昼を食べて帰ってくるというもの。ツアー16000ペソにオプションのランチ代5800ペソをつけた。ランチは内容からするとちと高かったような気がする。が、そもそも高そうなレストランばかりだったから自分で払っても変わらないかも。

ツアーの申し込みも済んで例によって今日はひまになった。お昼を食べにアンヘルモへ行くことにする。アンヘルモは町からちょっとはずれたところの港町で、プエルトモンへ来たからにはここのシーフードを食べないで帰ってはいけないと言われている。町からどれくらいの距離かわからないのでバスに乗る。

大通りに立ってみていると、アンヘルモと書かれたバスはたくさんやってくる。アンヘルモへ行くバスは数が多く見分け方も簡単でなんの心配も要らないことがわかった。降りる場所がわからないのだが、しばらく走っているとアンヘルモという名前が現れ両側におみやげやさんが立ち並ぶ。やがて、レストランが並んだところに来たのでバスを降りた。

さて、どこで食事をしようか。バスを降りたあたりにはレストランが並んでいる。もう少し先の方を見ると二階建ての木造の長屋みたいなのがあって、そこに食堂が入っている感じだ。とりあえず様子をみてこよう。

長屋には食堂があって、近くまでいって覗くと声をかけてくる。どこも同じような感じでどこに入ってよいのかわからない。ふと見るとさらに奥の方には市場らしきものがあるではないか。よしよし、あっちへ行ってみよう。

そこはまさに市場で、その中にしょぼい食堂が何軒か入っているのだが、客引きがうるさいうるさい。なんだか、サンチアゴの中央市場よりうるさいかもしれない。どの店もクラントという名物の煮込み料理を店先の大鍋で作っていて鍋の蓋をあけて中を見せてくれる。また、貝類が並べてあって「ウニ、ウニ」と呼び込みがうるさい。またしてもどこに入ればいいのか迷ってしまう。どこの店も同じようなものなので、あっちの店、こっちの店とあまりうろうろしていると、なんでよその店でなくてその店に決めたのかという申し訳がたたないよなあ、などと妙なことを考えてしまい、思い切って適当な店に入った。これだから、優柔不断は困る。

クラントとウニを頼んだ。まずウニが出てくる。スープ皿に10個くらい入って1000ペソ。サンチアゴの中央市場では3000ペソ?4000ペソしていた。レモンを絞って玉ねぎのみじん切りをかけて食べる。

なんだかいやに淡白で水っぽい味がする。ウニらしい舌触りはない。まあおいしいといえばおいしいがそんなにおおはしゃぎするほどのものではないと思った。

クラントの方は大きな皿に山盛りになってでてきてちょっとびっくりした。あまりの量の多さにこれは大変なことになってしまったと、びびる。内容は、大きなジャガイモがごろんごろんと2、3個と長さ5cmくらいのムール貝みたいな長細い貝が15個くらい。それに柔らかく煮た豚の塊がほんの少しとソーセージ。

これはきっと食べきれまいと一緒に出されたパンには手を出さないようにしたのだが、食べてみるとなんとか胃に収まったので一安心。ちなみに私はどちらかといえば小食なほうである。量は多かったが味はというと感激するほどうまくない。なんだかはずれたかなあと思いながら店をあとにした。

店を出てしばらく歩いたところで日本人の若者に会った。市場の中の食堂がよくなかった話をすると、「でしょ。僕も最初は市場の中で食べたんですけど、さっき食べたこっちの食堂の方がおいしいですよ」と、食堂が集まった長屋を指す。結局、食堂長屋と、それに道路沿いのレストランにも行ってみると、おいしい順に、道路沿いのレストラン>食堂長屋>市場の中の大衆食堂となるような気がする。そして、値段もこの順になるような気がする。

この若者は船でプエルトナタレスまで行くのだそうだ。Navimagという会社が運航するこの船は大変混み合っていてなかなかチケットが取れないらしい。どうやって取ったのか聞くと、プーコンというリゾート地で知り合ったペンションを経営するドイツ人がインターネットで取ってくれたのだそうだ。どうしてもチケットが取れなくてあきらめていたところなので助かったということで、なんだかよくわからないがそういう販売ルートもあるらしい。

プーコンは簡単に言うと新興リゾート地でトレッキングだのラフティングだののアクティビティが充実したところであるようだ。歩き方には載っていないがLonely Planet には載っていた。彼は出会った旅行者に薦められて行ってみたらしく、欧米人の間では評判がいいようだ。話を聞いた限りでは「お金をかけていろいろな遊びをする場所」という感じなので、日本人がはるか彼方のチリという国に求めるものとは違うのだろう。日本人にとってはパタゴニアとイースター島とアタカマ砂漠が重要なのではないだろうか。

すぐに船に乗る彼と別れてホテルへ戻ることにした。思ったより近いので帰りは歩くことにした。

 
料理
チリ

1997年最後の日暮れ、チロエ島にて

1997年最後の日暮れ、チロエ島にて post_monchan 2009/07/01(水) - 21:25
Ancud, Chiloé Island

1997年の大晦日に、私はチロエ島のアンクーという小さな街にいた。パタゴニアからプエルトモンに戻り、サンチアゴからイースター島へ向かうまでの間どうしようかと考えた末、チロエ島を訪れることにした。

アンクーはとても静かで穏やかで人通りも少なく、ちょっと寂しい感じの街だった。にぎやかな繁華街があるわけでもなく、店も閉まっており、何かイベントでもあるかと思ったがそのようなこともなく、ただただ静かに1997年が終わり、そして新しい年を迎えた。

泊まったところはいわゆる民宿のようなところで、宿のおばさんやその友人たちとお茶を飲み、少しだけおしゃべりした。少しだけというのは、いかんせん英語が通じないのでもうどうしようもなかったのだが、とはいえ暖かい気持ちになった。

チリ

リャマ、グアナコ、ビクーニャとアルパカ

リャマ、グアナコ、ビクーニャとアルパカ post_monchan 2009/03/15(日) - 21:25
guanaco by Ik T

guanaco by Ik T uploaded on 15 Mar 2009

パタゴニアで出くわしたグアナコの群れ

南米に行ったときに、ペルーにはリャマがいた。マチュピチュにもいたので驚いた。パタゴニアにはグアナコがいた。他にアルパカというのもいるし、アンデスの高いところに行くとビクーニャというのもいるらしい。

なんだか似たようなのがいろいろいるので整理した。

まず、どれもラクダ科の動物である。で、ビクーニャ属に属するのが、ビクーニャとアルパカ。リャマ属に属するのがリャマとグアナコである。

llama at Machu Pichu by Ik T

llama at Machu Pichu by Ik T uploaded on 15 Mar 2009

マチュピチュにいたリャマ
Vicuna by

Vicuna by uploaded on 26 Jun 2006

稀少動物ビクーニャ by Elizabeth C
 
Alpakas @ Kisselmühle by

Alpakas @ Kisselmühle by uploaded on 22 Sep 2009

やっぱりかわいいアルパカ by paulinepauline
 

ビクーニャとアルパカは毛が有用である。特にビクーニャは稀少価値が高い。もちろん見たこともないからどんなものなのかわからない。アルパカの方はそうでもない。

アルパカとグアナコは大きさがおなじくらい。ビクーニャはもっと小さい。リャマはもっとでかい。

マチュピチュやクスコ近郊で見かけるのがリャマ。アルゼンチンに世界のグアナコの95%がいるらしい。逆にアルパカはペルーやボリビアにいるらしい。ビクーニャはめったに見かけない。