1997年12月21日(日)

ロスエロエスの空港バス停留所へ行くとちょうど Centro Puerto のバスが来ていた。行きは高い方のバス(Tour Express 1000ペソ)だったが帰りは安い方のバス(640ペソ)というわけだ。

夕べ、モニカさんに宿代を払って、これからプンタアレーナスへ行って、それからプエルトモンへ行ってくるというと、いつ帰ってくるんだというので、1月2日だというと、じゃ、予約しときなさい。というわけで、半ば強引に1月2日にサンチアゴに戻ったときにも Hotel Tokyo に泊まることになってしまっていた。

モニカさんという人は、スペイン語を勉強しなくちゃだめだといって無理矢理紙に書かせたり、シャツの下に貴重品を入れているとそんなの一目でわかるからだめっ!と怒ったり、ちょっと小うるさい所があり、気持ちの優しい日本人青年?としては傷つけちゃいけないと思って言うことを聞くようにしていたので、結構疲れた。

彼女は日本語を話さなくなってずいぶん経つので、ときどき単語が出てこない時があり、そんなときはいらいらして怒っちゃうのだ。「なぜ、私の言いたいこと、あなた、わからない」なんて言われてもそんなのわからんよ。でも、彼女は日本で暮らしていたとき、文脈から推定して単語の意味をつかんでいったのだそうだ。「だからあなたも想像すればわかるはず」って言われてもねえ。

* * *

サンチアゴを発った飛行機はプエルトモンに寄って無事プンタアレーナスへ到着した。途中、プエルトモン上空では、富士山にそっくりなオソルノ山の美しい姿を見ることができた。雪で真っ白になっておりそれはそれは美しい山だった。このまま後回しにして通り過ぎてしまうことが残念なくらいだった。それでも、後のお楽しみができてなんだか嬉しくなった。これから先の旅が楽しくなりそうだった。

ちょうどいい季節なのだろう。ここにも、チリに住んでいると思われる日本人家族が旅行していた。小学生くらいの子供を連れていた。荷物が出てくるのを待ちながら様子を見ていると、どうやら旅行会社の迎えがあるようだった。

私はもちろん自力で町まで行かなければならないが、「飛行機に合わせて地元の会社がバスを走らせている」という情報しか持っていない。外に大きなバスが止まっていたので聞いてみるとこれはプエルトナタレス行きだという。

それもいいかもなーと思ったが次の瞬間、バスは行ってしまった。しかたがないので、うろうろ探すと小型のマイクロバスがいたので、聞くとこれがプンタアレーナス行きだった。

バスはアルマス広場からちょっと離れた、バス会社のオフィスの前に止まった。バスから降りてもホテルの客引きがいない。はてさて、どうすべ、と考えているとバスの時刻表が目に入った。プエルトナタレス行きが午後5時にあるらしい。どっちみちプンタアレーナス観光より先にプエルトナタレスに行こうと思っていたので、このまま行っちゃうってのもいいなあと気持ちが傾いた。

それに、プンタアレーナスは想像以上に田舎の淋しい町だったので、なんだかまた移動したい気持ちもあった。ここはなんだか気持ちをわくわくさせるものがないのだった。そういうわけで、決心すると、早速、プエルトナタレス行きのバスのチケットを買った。プエルトナタレス到着は午後8時頃。まだ明るいはずだ。

外はちょっと寒くて、バス会社のオフィスの中は暖房が入っていた。オフィスに荷物を置かせてもらって、近くのスーパーにおやつを買いに行った。

5時に会社のオフィスの前を出発したバスは、ちょっと走って別の旅行代理店の前に止まった。そこからかなりの数の旅行者が乗ってきた。やっぱり、旅行者はたくさんいるんだな。いよいよバスはプエルトナタレスに向けて出発だ。

と、思ったら空港に舞い戻ってしまった。空港と町の往復分を損したが、まあ、そういうことはよくあることなので、気を取り直して? プエルトナタレスへ出発だ。

どんよりとした雲りの天気の中、羊や牛が群れる草原の中をを3時間半ほど走り、プエルトナタレスの町に到着した。例によって到着したのは町の中心からちょっとはずれたバス会社のオフィスの前だった。

宿の客引きが来ていたが、客引きについていくとろくな宿にありつけないと決めてかかっていたので、迷わず町の中心に向かって歩きはじめた。同じようにバックパッカーの2人組が前を歩いていた。町はいよいよ小さくてちっぽけだった。

この町のアルマス広場はちょっと趣が異なる。中心には赤と黄色に塗られた機関車が置いてあり、広場全体には緑がたくさん植えられている。広場というよりむしろ公園に近い。普通は広場を中心に主要な施設が集まってにぎやかなはずだが、この町の一番の繁華街は広場からちょっとはずれた所にある。

広場を通り過ぎて、目指すところはロンリープラネットで探したホテルナタリーノという宿である。バストイレ付きだがちょっと狭い部屋で一泊12000ペソということだった。板張りの床と壁で、部屋の中は暖房が効いていて、スキー宿みたいな感じだった。

時間は9時近いが外はまだまだ明るい。夕食を食べに出かける。La Tranquera という店で2600ペソのサーモンを食べた。歩き方に載っているレストランだからかどうかしらないが、入り口の所で日本人の女の子とすれ違った。この町ではかなりな数の日本人とすれ違った。パタゴニアへの拠点であるせいか、プンタアレーナスよりもプエルトモンよりもずっと多かった。「氷河」と「ペンギン」はやはりそそるものがあるのかしらん。そーゆー自分も「氷河」と「ペンギン」を見に来ているのだけれど。

サーモンを食べていると突然、けたたましい警笛を鳴らし続けるピックアップが何台も前の通りを通過した。荷台には大勢の若者というか子供が乗っていて旗を振り回している。一瞬何事かと思ったがすぐにわかった。サッカーの試合が終わったようだ。こんな田舎で試合があったのか、プロの試合があったのか、学校の試合の応援なのか、それともひょっとしてテレビを見ていただけか、なんだかよくわからないが、とにかく南米に来ていることを思い出させる光景だった。が、なんといっても田舎だし、夏なのに寒いし、町の中はあんまり盛りあがっていないようだった。

食事が済むと周辺の旅行代理店を物色しつつ宿へ帰った。時間は10時前なのにまだまだ明るかった。結局、11時まで外は明るいようだった。

 

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