ティネリールで絨毯を買う

ティネリールで絨毯を買う post_monchan 2009/04/19(日) - 20:45

1992年12月28日 - ティネリールで絨毯を買う

朝の7時半ごろ、バスの時間を聞きにターミナルへ行った。昨日も時間を聞いたのだが、8時と言われたのが夜なのか朝なのかはっきりしなかったし、他に6時とか10時とかも言ってた。で、やはり8時にバスが出るらしい。「他にはないのか」と聞くと13時だという。8時のバスに乗れば12時に次の目的地であるティネリールに着くが13時のバスでは暗くなってしまう。急いでホテルに戻り、荷造りしてチェックアウトした。

バスは民営の安いバスで、赤ん坊は泣くは隣のガキは吐くはで大変だった。バスは民営とCTMとがあり、それぞれ日本の私鉄とJRみたいなものだそうだ。CTMはチケットの値段が高くきれいで高そうなバスを使っている。民営のバスはぼろいのに加えて、ワルザザートを出発してしばらくは舗装されていない道を通ったのでがたがたゆれるので、屋根の上の荷物が落ちないだろうかと気が気でない。ワルザザートからティネリールまでは 30DHだった。

ワルザザートの町を出るともう周りは荒れた土地に石ころがころがっているような何もない土漠だ。果てし無く広がる荒野。すべて、茶色の世界。こんなところに置き去りにされたら、ほんとにサハラの砂と化してしまうであろう。

途中、突然、荒野の真ん中でバスが止まった。皆といっしょに降りてみると、なんと、係員がバスの下にもぐり込んでどこかを直しているではないか。やれやれ。

同じバスにフランス人ギャルの旅行者がいたのであいさつした。
「ボンジュール。ツーリスト?」
「ええ、そーよ。あんたどっから?」
「東京。日本。ねえ、何があったの?」
「知らない。壊れちゃったみたい。私たちこっから歩かなきゃいけないのよ。」(笑い)

モロッコ人も加わった。
「よう、日本人か。よくきたな。どこへ行くんだ?」
「今日はティネリール。それからエルフード、フェズ、メクネス。」
「ああ、メクネスはいいとこだ。ところで、横浜知ってるか?」
「うん。東京の近くだ。」
「横浜にガールフレンドがいるんだ。」
するとフランスギャルが、
「ガールフレンドって、あなた、世界中にいるんでしょう。モロッコにはいるの?」
「いいや。」
「ねえ、あなたはどこからモロッコに来たの?」
「ん。東京だよ。」
「東京から直接来たの。」
「あっ、そうか。パリだよ。パリからワルザザートへ。」

などとおしゃべりしているうちに、ようやくバスが直って出発だ。

その後、バスで隣に座った男にティネリールの安宿を紹介してもらった。そのホテルも 30DHの安宿だ。ティネリールに着いてから、そいつとアッツァイ(ミントティー)を飲みながらトドラ谷への行き方などを聞いた。腹が減ったので「何か食いたい。」というと、「俺の家へ来い、タジン(シチュー)を食べさせてやる。」というので行った。

途中、ベルベル人の薬屋だという所へ寄っていろいろな香料や薬をみせてもらった。サフランなどの香辛料や鼻の詰まりを直す薬などを嗅がせてもらった。

そのベルベル人の家で彼の兄弟姉妹たちと会った。お茶を飲んでいると妹が絨毯を見てくれという。なるほどね、そういうわけね。絨毯を見せてもらって詳しい説明もしてもらった。

絨毯はおおまかに2種類ある。ひとつは1回で織るもので模様を織り込むのに使う絹の量が少ない。もう一つは2回織るもので、1度目は毛で地を織り2回目に絹で模様を刺繍していくらしい。1回で織る絨毯は3週間、2回織る絨毯は2カ月かかるのだという。以前、トルコへ行ったときには絨毯は買わなかったのだが今度は欲しいと思っていた。目の前でこんなに素晴らしい絨毯を見ると思わずくらくらっときてしまう。値段を聞くと2度織る方が3950 DHだという。うーん、高いなあ、高すぎる。話にならない。

そうこうしているうちにタジンがでてきてみんなで食事した。うまい。タジンを食べ、オレンジを食べ、お茶を飲んでいると、また、絨毯の話になった。2000 DHなら買ってもいいよと言ったが、全然、話にならないらしい。向こうは3350 DHと言ってきた。ふーん。高い。3200 DH。だんだん下がっていくなあ。2500 DHでどう?、とこちら。向こうは渋い顔。2600 DHでは?。すると、向こうは3000 DHだという。

以上の交渉は一番上の姉さんと行ったものだ。通訳係になっていた兄弟の男が「間を取って2800 DHにしろ」という。で、「なにか日本の物をもってないか? 持っていたら Tシャツ2枚くらいあれば2600 DHでもいい」という。そこでTシャツ3枚とタオルを付けて2500 DHまでさげて商談成立。ついに買ってしまった。こればっかりは相場がわからないから自分が納得できるかどうかで判断するしかないのだが、それはそれは見事な絨毯であった。

ところで、支払いはクレジットカードでもいいというのには苦笑した。なんでも、金(ゴールド)を扱っている叔父さんがガッチャンの機械を持っているから、頼めばできるのだという。クレジットカードは危なっかしいのでキャッシュにした。しかし、ディラハムではそんな大金を持っていなかったので日本円で支払った。すると、ちゃんと換算表が出てきたではないか。なんなんだこりゃ。空港の銀行にあったものと全く同じ換算表だった。

ジュラバ(頭からすっぽりかぶるもので向うの人がよく着ている。鼠男の服みたいなもの)が欲しかったのでそう言うと、「夜、かーちゃんが帰ってきたら見せてやる」という。それで、夜に再度その家に行ったのだが、「かーちゃんがいないので明日にしよう」ということで、明日また来ることにした。

夜は町中が停電だった。やれやれ。そういえば、砂漠地方ではよく停電するので懐中電灯を買っておけと「歩き方」に書いてあったっけ。うろうろしていると、懐中電灯を売っている所もあったが、停電の最中に買うなんてばかみたいな気がしてやめた。ホテルではろうそくを用意してくれた。しばらくすると電気がついた。2、3時間でつくといっていたがそのとおりだった。

そうだ。停電の間の夜空に瞬く星たちがとても美しかった。あんなにビカビカ輝くオリオン座は見たことがない。

 
モロッコの絨毯に関しては、例えば、
モロッコ旅のまよいかた
 

1992年12月29日 - トドラ谷へ行く

例のベルベル人の家でドーナツのようなものを食べてから、今日はトドラ谷へ行くことにした。タクシーで行けばよいとのことだが、なかなか人が集まらない。どうもこれでは行けそうにない。うろうろしていると長距離のバス停でフランス人がエルフード方面行きのバスを待っている。12時だという。いっそのことトドラ谷はあきらめて、エルフードへ行ってしまおうかと思った。再びタクシー乗り場のある広場へ戻って、泊まっているホテルのカフェにたむろしている兄ちゃんに「トドラへ行くタクシーはないのか」と聞いた。すると「車を探してやるから来い」という。俺の友達が行くからというのだが......。

友達という男に会って彼の車に乗せてもらった。その友達とかいう男は途中で降りてしまい、もう一人いた運転手に少し先のトドラ谷まで乗せてもらった。トドラ谷に着くと「30 DHよこせ」という。なんだ、ただじゃなかったのか。それにしても高いぞ。「グランタクシー(乗り合いタクシー)で一人5DHで6人運ぶのだから、お前一人では 30DHだ」という理屈だ。あんまりなので25DHに負けさせた。まあ30 DH払っても420円に過ぎないのだけれど。

トドラ谷は素晴らしいところだ。アイトベンハッドゥよりこっちの方がずっといい。夏の暑い盛りなら川のせせらぎがとても気持ちがいいと思う。いまは寒いので川に入るどころではない。谷の両側はとても高い絶壁でほとんど垂直に切り立っている。160メートルあるのだそうだ。ロッククライマーが何組か来ていてロッククライミングをしている。谷はしんと静まり返っている。人の話し声が谷に響く。それにしても、この絶壁には圧倒される。川沿いにしばらく歩くと、途中で川が途切れている。そこから先の上流は水の無い川になってしまっている。水はどこから来ているのだろうと思って探してみると、水が湧きだしている所を見つけた。これだけの流量の水がいったいどこから来るのだろう。このトドラ谷へは来る価値がある。

ここまで車で連れてきてくれたおっちゃんとの別れ際に帰りのことを尋ねたら、時計の3時を指して何か言っていた。てっきり、3時に迎えに来てくれるのかと思った。3時までぶらぶらしたり、カフェの椅子に腰かけてぼんやりしたりした。3時を過ぎても車は来ないので歩きだした。疲れたら車をヒッチハイクすればいいやと思ってどんどん歩いた。

途中でガキどもが声をかけてくる。「ボンジュール」ならいいほう。「ジャポネ」「シノワ」「ジャッキーシャン」「カラテ」などなど。途中座って休んでいると5、6人の子供たちが来ていろいろしゃべってくる。

「!"#$%&'」
「なんだよ、うるせーな」
「#$%&%$$$$$%&!"」
「わかんない」
「ワカナイ」(げらげらげら)
「ばか」
「バカ」(げらげらげら)
「なんだよ」
「!"#$%&」
「なにいってんだよ」

うるさいので逃げだすと、石を投げてくる。そいつらだけではない。ガキどもは僕が彼らを無視して歩きだすとよく石を投げてくる。「ジャポネ、ジャポネ」とうるさいし、「シノワ?」「ジャッキーシャン」とうるさいったらありゃしない。いったいどんな教育をしているのだ。一度、「カラテ、カラテ、ジャッキーシャン」というので空手の真似をしてやったら、「ノーノーノー」と怯えて逃げやがった。ざまあみろ。

それにしても、帰り道は子供がうるさくてしかたがなかった。まったく、外人をなんだと思っているのだ。けしからん。目尻を両手で引っ張って細目にしてからかうのだ。けしからん。だんだん、腹が立ってきた。

ティネリールまでは15キロある。1キロ10分のペースで下り坂の道をてくてく歩いていく。それにしても遠いなあ。途中、若者が焚き火をしていたので、あたっていった。僕がアラビア語とベルベル語であいさつができるのがわかって喜んでくれた。いろいろのものをアラビア語とベルベル語とフランス語で何というのか勝手に教えてくれた。

こっちはそれらを英語と日本語で何というのか教えてやった。どうせ忘れてしまうし、はやく止めたかったが向こうが勝手にいろいろ教えてくれるので、つきあってやった。

さて、早く行かねば日が暮れてしまう。10キロも歩くとさすがに疲れてきた。子供にもかまっていられない。あいさつする気力もない。あと1キロの所では、もうふらふらだった。もう、あたりは薄暗い。へとへとになって、結局、最後まで歩いてしまった。

ホテルに着くともうぐったりで、ちょうどみんながハリーラというスープを食べていたので指さして「あれをくれ」といって、一気に二杯平らげ、カフェオレを飲んで、部屋に戻ってそのまま寝てしまった。

 
トドラ谷に関して、 マラケシュフォトダイアリー によれば観光地化されてだいぶ赴きが変わっているらしい。
 
モロッコ